サラリーマン人生の師匠達から学んだこと

別に何かの節目ではないのですが、眠れないので久しぶりにブログを書いています。サラリーマンとしての自分の人生、気付けば7年と半年が経っていた。その中でも今の部署というかプロジェクトというか、ここにはかれこれ5年間ずっといることになる。ただ目の前のことに取り組み続けてここまで来たけど振り返ってみると自分は、自分の学んだ人のように結局はなっていくのかも知れないなと今は思うのであります。

二人の師匠

仕事上、師であると思えるような人が二人います。一人目は配属になった部署の先輩で、二人目は今の所属の最初のボスです。関係者は数万人に及ぶ今の会社ですが、どちらも全社的にとても有名人というか認められていて、当時テクノロジーが中心ではなかったこの会社において、技術に強みがある人間としての一つの生き方の指針のようなものをそこには感じていました。偶然、一人目の先輩の元に付いて仕事をすることになり、自分が求めるような仕事の仕方が出来る場所を求めて二つ目のフィールドに移り、そしてその後は自分自身が仕事をコントロールしてその先輩方のようになろうとしている。自分の中で2.5年ずつ区切るとちょうど3つに分かれていたのかもしれません。

人にどう認めさせるか

二人に共通してすごいなと思っていたのは、一つのものを信じて、そしてそれをちゃんと人に認めさせられる力です。その、人に認めさせる力というのはサラリーマンとしてとても大事だと思うのですよね。認めさせるというのは例えばその案件に予算を取ってこれたり、あるいは社外にちゃんと売れてお金になったり、あるいは全社の賞を取ってそれは会社としてとても意義のあることだと周知することだったり、、分かりやすい結果になっているということ。他人を含めた客観的な良い結果(成果)になっているからこそ評価もされる、そして仕事がしやすくなる、また結果を出せる、という好循環が回っているのが見えるところがとてもカッコイイなと思っていたのでした。会社からお金をもらって仕事をしている以上、ちゃんと会社が評価するというのは唯一ではないにせよ当然大切な指標であると、一人のビジネスマンとしては思います。

最初の2.5年は、自分の信じるものの見つけ方を

僕自身、高専にいた時代から数えて大学院まで約10年近く情報工学(IT)ばかり勉強して入社したわけですが、最初から、いやこれを書いている今ですらも思っているのは「別にIT自体が好きなわけではない」ということです。もちろん嫌いではないし、少なくともお勉強としての情報工学は得意だったこともあって、少なくとも「自分の武器にはなる」という自覚があるからこそそれを今も昔も使っているだけだと思っています。

その武器をどうすればこの会社で使うことが出来るのだろうか、というのが自分のサラリーマンとしての最初の苦悩だったんですよね。少なくともIT、ネットにちょっと詳しい程度の能力では仕事には何も役に立たなかった。知らなければ知らないなりにうまくやれる仕事を目にしていると、自分の存在意義すらよくわからなくなることもありました。

そんな中で一人目の師匠は技術に徹底的に特化していて、圧倒的でした。何がすごいかというと自分で見つけた、作り出した仕組み、製品をちゃんと人に認めさせるということをやっているところがすごいと。自分の仕事はその師匠が作り出したプロダクトを全社に展開することだったわけですが、それがちゃんと進んでいったのは疑いようもなくその人の権威と信頼だったのだと今は思います。技術者が技術を作り出すだけでなく、それを人に伝える力も持つことが出来るのなら、こういう世界においてすごい力になるのだとその時思ったのでした。

次の2.5年は、ものの信じ方を

色んな偶然もあって、二人目の師匠に誘われる形で今の部署にやって来ました。ただ最初は己の意思の弱さと、信じられるものが無かったせいで何もうまくいかず辛くてしょうがなかったのですよね。それが変わったのは自分が新しいプロダクト、この後5年間関わることになるもののプロトタイプを自分が主導して完成させたことでした。ちゃんと完成すると思っていなかったものが出来て、それが動いて、そしてサラリーマンとしても評価を受け、というところでようやくビジネスマンとしての「自信」を持てた気がします。

(※2020/12/15追記 ずっと怒られてばっかりで仕事がつらくて面白くなかったけど、ある時自分が思いついたちょっとしたアイデアを入れてみようと思って社長に言ったんですよね。そしたらことのほかあっさり「いいじゃん、それでいこう」となって。それ以降、自分で考えたものや思いを持てるものを仕事とした時に仕事は「自分のもの」となりそれに自信を持ち、自律的に前に進んでいくのだ、、ということに気づきました。)

この時学んだのは、自分がやっていることに対してどう自信を持つべきかということ。この二人目の師が本当にすごいと思うのは、何があっても信じるものがブレないところです。傍目に見ると「ちょっとそれは過剰に言い過ぎじゃね?」と思うことでも、臆面もなく言い切れること。多分それが出来るのは本当に信じているからか、あるいは信じることからしか説得力が生まれないと知っていたからか、どちらかではないかと今は思います。いずれにせよそうやって信じることが大きな力になっていることは間違いが無いので。

その次の2.5年は、自分も同じように

少し前、色んな偶然やはからいがあって、図らずも全社的な賞をもらうことが出来て自分の中の一つの目標は達成されました。そしてこの半年、様々な部署や社外に営業を掛けまくったらいつにないスピードで仕事がうまく成立する、ということを体験しました。気付けば自分がつくったプロダクトについてプレゼンする時、絶対的な自信を持って誰かに話している自分もいました。それと並行する形で結婚もし、子ども出来て、自分の会社も設立して軌道に乗って…と、人生も大きく進んで来たのでした。

ああ、これだなと。師匠達から学んで来たことは。

人に認めさせること、自分と自分の持つものに自信を持つこと。どちらも気付けば結構出来るようになって来たなと自分では思います。学んだことを、ちゃんと形にして、自分のものにすることが出来た。では、ここから先は。

これからの2.5年は、誰かと自分の未来のために

この2.5年もまた一つの節目になることだけは、今から予想が付いています。今の自分にまだ欠けていて必要なもの、いや欲しいものは、誰かを巻き込んで組織化していく力と新しい場所で0から1を作り出す力です。これが出来れば、どこでも自分が生きたいように生きられる気がする。

多分それが、20年来言葉にならず自分が見えていない「本当にやりたいこと」になるんじゃないかなと思っています。まる。

供養する人される人(お墓参りオペレーション その3)


お盆前、奥さんが身重だったり父の十七回忌があったりで一人で奈良に帰りました。結婚すると一人の時間が意外とないので新鮮です(新鮮だけど別に一人だから嬉しいということもあまりない)。代わりに今日は奥さんがうちの実家に帰っていたり。

実家に帰るとたまに書いているこのシリーズですが、今日はは世代の移り変わりについての話です。

お墓の有効期限

親戚のお墓を処分するしないの話を聞いて思ったこと。お墓ってなんだかんだ言ってもずっとそこにあるものというイメージってありませんか?僕はそうでした。確かに守り続ける人がいる限りお墓はそこにあり続けるのだとは思うんです。でもその守る人がいなくなればお墓はなくなってしまう。具体的には何年くらいなんでしょうか。

家にもよるとは思いますが、例えば両親のお墓は恐らくお参りするでしょう。祖父母のお墓参りに行くときはきっと両親どちらかと一緒に行くとして、その後もしいずれか(あるいは両方)が亡くなればその祖父母のお墓参りには行くのでしょうか?全部にお参りしたい気持ちはもちろんありますが、物理的な限界もあるので自分は多分行かなくなるんじゃないかなと思います。あるいは何年かに1回行く、とか。

そう考えるとお墓の守られる期間と言うのはせいぜい「その子どもが生きている間」で、1世代か2世代が平均的なところなのかもしれません。親が亡くなってから自分が亡くなるまでの期間はどのくらいかというと、平均寿命が延びているとは言え、ざっくり自分が生まれた時の親の年齢くらいでしょう。ということは大体30年くらいで、2世代ならその2倍で60年になります。

守られなくなったお墓はどうなるのか

今日たまたま石材店の人に聞いたんですが、お坊さんに来て儀式をしてもらって(魂を抜いてもらう、という表現だった)その後石材屋さんが解体する、ということのようで。

つまり誰もお参りしなくなる可能性が高いのであれば、自分が亡くなる前か、亡くなった後にはその守ってきたお墓を解体するということをしないといけないことになります。でないとそのお墓には誰もお参りすることがなくなり、いわゆる無縁仏になってしまうことになります。

永代供養という仕組み

そういう場合に関連するものとして「永代供養」という仕組みがあります。何年、何十年と縁者に代わって供養をして頂けるような仕組み。お墓をなくしてしまう際に永代供養をしてもらうことや、またそもそもお墓を作らずに永代供養をしてもらうような場合もあるようです。その場合はお参りする時はお墓ではなくお寺になるそうですね。ただ今回話している供養はこの永代供養とは本質的に違うので、ちょっと置いておきます。

供養する人される人

合理的に考えればなのですが、お墓参りを追善供養のため、その人の冥福を祈るためなのであれば、供養する人は当然その人を知る人になります。だから縁が深い人ほど頻度も内容も多く厚くなるのでしょう。逆に言うと縁が無い人、現代の「家」の感覚が薄れた状態で言うと「会ったことがない人、お世話になってない人」については現実的にお参りもしない、出来ないことになりそうです。そんなこと言うと「ご先祖様がいるから今の自分がいるのにお世話になってないとは何事だ!」と叱られそうですが。

こう考えると、お墓参りという供養はやはり「己が中心」であり己の生きている間、己の関わった人に対して祈りを捧げるものと言えそうです。例えば父のお墓参りであれば僕は自分が死ぬまで通い続けるはずなので、例えば80歳で死ぬまであと50年、父は供養され続け僕の中で生き続けることになります。

他にも身近な人や大事な人が亡くなればきっと、自分はずっと通い続けることでしょう。そうやって自分が死ぬまで、自分が関わった人たちを生きている間中思い出しながら大切にして行くことが、お墓参りという形式の持つ意味なのだろうなぁ、と思ったのでした。世の中にあるお墓の数はつまりその生きている人たちの想いの数、生きている人の数と本来的には同じになるのかもしれないなぁ、と思ったのでした。まる。

物と本の持つ記憶

Spirit of Wonder (KCデラックス)

Spirit of Wonder (KCデラックス)

人は何も忘れない生き物なのかもしれない

何か物を見た瞬間にふっと過去の記憶の欠片が蘇る、というのはよくある話だと思います。とりわけ本を読んだとき、それを読んでいた頃の記憶は割と鮮明に思い出せる気がします。それは自分でもびっくりするくらい何気ないことだったり大昔のことだったりするので、もしかすると人間は一度見たものや感じたことを何も失ってはいなくてただきっかけがなくて全て忘れているだけなのでは…とさえ思ってしまいます。

本の持つ記憶

本には文脈がありストーリーがあります。それはとても記憶に残りやすいものだから本についての記憶は鮮明なのかもしれません。特に人から借りた本であればなおさら。

なぜ人に本を貸したり借りたりするのかというと、それはその本の内容を共有したかったり、感想を共有したかったり、もしかすると何か伝えたいことがあったりするからかもしれない。だとするとその本にはただその本が持つ以上の意味があり、記憶があると言えるかもしれません。

今が幸せであるから、過去の全てを肯定する

自分の好きな考え方の一つに、こういうものがあります。例えばうちの父親は僕が高専1年の時に亡くなったわけですが、今思えばそれが転機になって自分の人生について圧倒的によく考えるようになったし、家族の絆も深くなったはず。もちろん悲しかったし今でももし生きていたらどういうおじいちゃんになっていたのかなとたまに思うこともありますが、それでも一番思うのは、それがあったからこそ今の幸せな自分がいると間違いなく思えると、そういうことなんですよね。だからまず今の自分に満足し、過去の全てを受け入れるのが幸せの第一歩なのだーー。なんて。

なんでこんなことを書いているかというと、この本を読みながら、当時はそういうことばっかり言ってたなーと思い出したんですよね。なんと説教くさい。

ただ、思っていることは今も変わらなくて。幸せな人生は自分にとって無限のパターンがあるはずです。人と人との巡り合わせも人と本との巡り合わせも無数にあって、ただ偶然今の状態になっている、ただそれだけで。過去は過去で、未来はこれからのもので。現在を最上のものとしてまずは捉えることさえ出来れば、過去は全て肯定され、未来もきっと幸せになると、僕はそう思っていますしそれを今も伝えたい。いつまでも幸せに、お互い生きていきましょう。それが、きっと忘れることのない本の記憶です。

Forget-me-not (1)

Forget-me-not (1)

暇だったこの3年間によせて

ごぶさたしております。前のブログから気付けば1年経ってしまいました。この1年間の大きな変化で言うと

  • 結婚した
  • 8歳の子どもが出来た
  • 長男(次女?)が年末に生まれる
  • 自分の会社を作って、1期目が終わった
  • 仕事で大きな賞をもらった
  • めっちゃ妖怪ウォッチ見てる
  • スプラトゥーンに家族ではまっている
  • 英会話行かなさすぎてGABAから怒られている
  • ブログを1年間書かなかった
  • 1年間ほとんど本を読んでない
  • ingressおもろい

など。変われば変わるものですね。

暇だったこの3年間、とは。

この1年は色んなことがあったしもちろん忙しかった。でもその前の2年間は、結局暇だったのだろうなと今にしては思うのですね。結婚式にしろ会社の設立や運営にしろ、新しい家族との生活にしろ、新しいものがたくさん入ってくる余裕が自分にはあったということなので。やってもやらなくてもよかったものがたくさん無くなって、その分に新しいものがすっぽりと入ってきた、そういう感じがしています。

ブログ書かなくなったり英会話行かなくなったり本読まなくなったりゲームしなくなったりして、目に見えて時間の使い方が変わりました。朝も7時くらいには起きて、会社も9時過ぎには着いて、遅くとも20時前には会社を出るとか。家に帰ったら子どもと遊びたいし家事もやりたい。そういうやりたいことを積み重ねると、そうでもないことは押し出されていく、というただそれだけの話ではあります。

もっともっと出来ると今は思う

いま楽しいこと、家族との生活と、自分の会社の運営が一番楽しいです。家族との生活は日々新しい発見に満ちているし家事ひとつとっても出来ることが増えていく感覚があってとても楽しいです。料理できるようになったらだいぶ生活の幅が広がるなぁ。

会社、自分で考えて、選んで、仕事をして、お金をもらって、という自分でやったらやった分だけ結果が出てくるというのがとてもおもしろいです。運営の仕方はだいぶわかってきたので今度は人を増やしたりしてみたいなぁ。バイトでもいいんだけど。今は仕事はいっぱいあるけど人がいないからやり切れない、という悲しい状況なので、WEB系の人を今年は探して色々手伝っていただきたいと思います。

あとブログにしろ英会話にしろ読書にしろ、もっと時間を詰めれば色んなことが出来るはず。朝の通勤時間もingressやるのではなく考え事しながら歩けば往復1時間だもんね。


ブログ書くのってこんなのでよかったっけ。。最後にいまはまっているSplatoon(スプラトゥーン)のリンクを貼っておきます。子どもも含めて家族3人で遊んでますがようやくランク20になりました。ジャンルはFPSなんだけど、色の塗り合いと、撃つのが水鉄砲というあたりがとても平和で子どもも安心して遊べるのがとてもよいですね。久しぶりに出たオリジナルタイトルでのヒット作、ゲーム業界も活気が出て大変よいなと思いますのでみなさんぜひ一緒にやりましょう!!

Splatoon (スプラトゥーン) [Wii U]

Splatoon (スプラトゥーン) [Wii U]

星の王子さまを英語で読んでみた -Anything essential is invisible to the eyes.- ES#035

最近何か書くのが月イチになってますがおかげさまで元気にやっております。

GABA 3rd season

前の記事にも書いたんですが、マジメに英語の勉強を始めてそろそろ3年目になります。GABAも3rd seasonに突入したと言うことで今年はこのブログに書いているような内容を英語で話せるようになると言うのが目標です。勉強時間だけで考えても英会話のクラスとあと仕事時間中に英語で考えたり話したりする時間を合わせてもおそらく100とか200時間くらいしかないのですよね。それだけだとほんと足りないので今年は本読んだり映画見たりで時間増やしたいなーと思っております。

「かんじんなことは、目では見えないんだ。」

本屋で探すと英語とかの教材によくなってそうだったので「星の王子さま」にしました。

読んでみて思ったのは7-8割くらいは理解出来るし、poeticな内容でも意外と分かるものだなと。僕はそもそもこの話を読んだことなかったんですけど、例えば王子様とキツネの会話のシーンとかは英語で読んでてもすごく面白かったです。そこだけ引用。

"Here is my secret. It's quite simple: One sees clearly only with the heart. Anything essential is invisible to the eyes."
"Anything essential is invisible to the eyes," the little prince repeated, in order to remember.
"It's the time you spent on your rose that makes your rose so important."
"It's the time I spent on my rose..., "the little prince repeated, in order to remember.
"People have forgotten this truth, " the fox said.
-- Chapter XXI, The Little Prince

"Anything essential is invisible to the eyes.", これが「かんじんなことは、目では見えないんだ。」になると。星の王子さまと言う話自体すごく示唆に富んだ話で、子ども向けのテイをしているもののどう見ても大人に向けて書かれていると思えることろがたくさんあります。出て来る色んな星の話や、王子さまとキツネ、花の会話。地球の人口が20億だったり、ガス灯点灯夫や地理学者が出て来たり、その辺りに時代の背景を感じはするものの、語られている内容は今でも十分通用するものです。それが名作たるゆえんなのでしょうね。

言葉と文化の背景

いざ別の言語で読んだ上で対訳を見ていると、翻訳って色んな意図を含んだり場合によっては恣意的になり得るのだなぁと思います。でもそれは翻訳に限った話でもなく、人の書いた文章を理解しようとすると本質的にはその人のバックグラウンドだったり文化的背景が必要、と言うことなんですよね。

元が外国語の文章って日本人にとっては日本語以上に理解し辛いはずだから、言語を習得すると言うのは結局その文化を理解すると言うことになるのでしょう。そう言う意味では、言葉と言葉を置き換えて理解すると言うのは本質的には多分間違いで。やはり本当の意味で理解しようと思うと、その国の言葉と文化で考える必要がある、と言うことなのだろうなと改めて思うのでした。多分それが分かれば映画もマンガももっと楽しめるようになるんだろうなと思うとまた一つ勉強するモチベーションが湧いて来るのでありました。まる。

"What makes the desert beautiful, " the little prince said, "is that it hides a well somewhere..."
-- Chapter XXV, The Little Prince

星の王子さま (岩波少年文庫 (001))

星の王子さま (岩波少年文庫 (001))

星の王子さま (講談社青い鳥文庫)

星の王子さま (講談社青い鳥文庫)

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仮想世界の歴史の紡がれ方 〜ガンダムUCが繋ぐUC〜

ガンダムUCと言う、ガンダムの最新OVAシリーズがありまして。こないだ4年を経て完結したので今日またこないだのまどマギの話と同様に全部一気に見たのです。これもまた、早くに見ていなかった自分を責めたい級のアニメでした。音楽とか超よかった。。UNICORNかっこええ…名曲。

ガンダムの歴史とその正史の定義

見ない人には全くピンと来ないと思うんですが、ガンダムの世界と言うのはもはや人々によって作られた歴史そのものなのです。35年かけて語られて来たのは個々の単発のアニメ、映画作品ではなく、そこにはその世界を通して息づく象徴や人格が確かにあって。色んな人が色んなその世界を語り、表現していく創造上の世界なのですが、それはもう日本の歴史や世界史などと同様、凄まじい詳細さと量、そして熱意で語られているものなのです。

そういう意味で、ガンダムの世界は既に「歴史」を持っています。多くのアニメや小説、同人作品などを生みそれらが紡いでいる世界の歴史。例えば宇宙世紀やそれ以外の世界であったとしても、ガンダムと言う名前を通して創られている創造上の長い歴史を持つ世界。

しかしそのガンダムの歴史における正史、正しい歴史とは何であるのか、これについてはただ一つ定義が定まっているわけではありません。「映像化されたガンダムが正史」「宇宙世紀が正史」「ファーストガンダムだけが正史」など、色んな考え方がこれまでにも存在しています。では、ガンダムに触れる人達はいったい何をもってそれらを「正しい」としているのでしょうか。

何が仮想世界の歴史を定義しているのか

何を信じるかはもちろん人それぞれなのですが、すごく簡単な言葉で言うと原則的には「人気がある」「多くの人が良いと言って認めているもの」を正史と読んでもよいのではと僕は思っています。極端な話、100人いれば100人の「ガンダムの歴史」があるはずなのです。個々人が持っているそのガンダムの歴史、ガンダムの世界にどのガンダムや人々が存在していたと「認める」のか。ただそれだけの話なのです。

ではその世界に何を認めるか、その基準は統一されるものではありませんしそんな必要もありません。一つ言えるのは「作品としてストーリーとしての完成度が高く過去との整合性が取れていて映像的にも音楽的にも優れていてキャラクターにも感情移入がし易く色々と想像し易い商業的にもお金を稼いでくれる作品」として語られているガンダムはその歴史として受け入れられる可能性が高い…それを一言で言うと「人気があるガンダム作品は正史足りうる」と言うことだと思います。

人気があるから、みんなが認めるものが正しい歴史になっていく。公認されていく。実際の日本史や世界史と言う歴史であれば、それは物的証拠などによって裏付けられ多くの学術研究を経て「正しい」と認められることになると思いますが、創造上の世界の「歴史」を作ることなんてかつての人類がどれだけやって来れたと言うのでしょうか。2000年の昔からこの世界の成り立ちについて語られて来た物語は確かにあると思いますが、完全なフィクションとしてこの規模で語られ続ける世界というのは他に類を見ません。

これってすごいことだと思うんですよね。「○○は異端/正史」と言う学派と、それに対立する学派がいる。でもその基準って人によってもちろん違っていて個人個人での世界の広がりとその規定が存在しているわけです。何がすごいってそういう「価値判断基準」自体をみんなが創り出していて、人の意識の中に深く世界が広がっている、と言うのはもう「ただの巨大ロボットアニメ」ではないのです。ほんとは誰がどう思おうとどうでもいいはずなのにね、そんな設定。そして興味の無い人にとっては本当にどうでもいいはず…でも、それでも、この世界がどんどん広がっていく感覚ということ自体がファンにとってはとてもおもしろく感じるのです。

そして過去を肯定するガンダムUC

さて、そのガンダムの歴史の中で、ユニコーンはそのストーリーと描写によって過去の宇宙世紀物語との接合を行い、そしてその人気によって新たな正史となろうとしています。ガンダムUCにより語られる新たな世界、大きなものとしては「シャアのその後」とそれ以前のファースト、Z、ZZ、逆襲のシャアのほぼ全肯定が大きいのではないかなあ、と個人的には思います。そしてサイアム・ピストの声を永井一郎氏がつとめることにより、過去の一年戦争のストーリーも含めて彼のモノローグだったと言う形式にして宇宙世紀を締めくくっている、とも取れます。

これだけの人気をガンダムファンの間で得ている新たな作品と言うのは直近だとあまりなかったはずです。ガンダムUCで語られていることがすごいと言うことよりもむしろ、ガンダムUCが肯定された(人気が出た、売れた、"多くの"人が良いと言った)ことによって、過去のUC作品(Universal Century作品)が全て肯定されてしまったことがすごいのです。

ユニコーンの0096の時代から過去の0078〜0093までを語ることにより、それらで描かれていた全てのシャアも、アムロも、カミーユも、ジュドーも、ハマーンも、強化人間も、そしてアースノイドスペースノイドとの対立も、その因縁も、ジオンの意思も、、何もかもは確かにそこにあり「ガンダムの歴史の正史であった」と言われることになった。ZZの存在も確かにあったし、カプールだってガルスJだってあったし、プルもプルツーもいて、だから12がいて、そしてそれらの存在を経た後で、確かにシャアはアクシズを地球に落とそうとしたしそしてまだスペースノイドの解放を望んだのだ、と言うことが「肯定」された。

ガンダムUCはそこで新たに示した歴史とともに、仮想世界の歴史がこうやって紡がれていくと言うその構造を改めて示したと言う意味でとても重要な作品にこれからもなっていくのだと思います。とてもいいガンダムでした。まる。

日本100名城スタンプを押しつつ城巡り 〜長篠城、岡崎城編〜 JC#006 JC#007

愛知入り

長篠も設楽原も愛知県だったと言うことにこれもまた着いてから気付きましたが、、愛知県東部の城巡りです。

No 城名 所在地 スタンプ設置場所 備考
45 岡崎城 岡崎市 天守1階 市指定史跡
46 長篠城 新城市 新城市長篠城址史跡保存館窓口 国の史跡

長篠城


日本の戦国史を語る上で外せない長篠の戦い、当時戦国最強と言われた武田騎馬軍団を織田信長が時の最新兵器「鉄砲」で打ち破った戦いと言われています。この戦いで武田氏の名立たる重心が戦死し事実上負けが決まり織田信長は中部・東海地方も手に入れることになっていきます。

古戦場にはもはや城はなく(もともと大きい城があったわけではないみたいだけど)、古戦場として記念碑があってあとは記念館が残っているくらいでした。そしてなんか古戦場の横に弓道場があっておじいちゃん達の弓道大会が開かれており、そこかしこに「長篠合戦のぼりまつり」ののぼりがはためく、ちょっとカオスなイベント会場みたいになっていました。

鳥居強右衛門記念館(ほんとは新城市長篠城址史跡保存館と言う名前)


写真はその人です。壮絶な感じがします。記念館は長篠合戦記念館と言うより「鳥居強右衛門」記念館と言う方が正しいんじゃないかと思うくらい鳥居強右衛門フィーチャーな場所でした。当時武田軍団に囲まれた織田・徳川方の城から決死で抜け出し救援を呼び、あと一歩と言う所で捕まってしまうものの、文字通り命を懸けて城内に救援が来た事を伝えた、、と言う逸話がある人です。入り口のパネルだけでも見る価値あるかもしれません。

設楽原の馬防柵


長篠の戦いと言えば戦のルールが変わったと言う意味で日本の戦史のターニングポイントと言われていますが、当時の織田側が作った陣地の馬の突撃を防ぐための柵が戦いのあった設楽原(したらはら)と言う平地に再現されて残っていました。ただそんな設楽原も、柵の向こうはただの畑です。

岡崎城


長篠からクルマで一時間半ほど、徳川家康生誕の地でもある岡崎城に着きました。多分今回訪れたお城の中で一番整備されていて、観光地化していたのがこの岡崎城だったと思います。5階建ての城の内部はちゃんとプロデュースされテーマ設定されており、またしっかりしたナレーション付きの映像とジオラマもあって、ゆっくり見れば数時間は過ごせそうな内容でした。外側にある記念館も体験コーナーとかがあって親子で楽しめそうです。あと面白かったのが当時の長槍(三間半、6.4メートル)の実物があったんですがめちゃくちゃ長いんですよね。これが例えば数十人で密集してたら確かに「槍衾」(やりぶすま)として凄まじい脅威になりますな…。

あとはあれですね、おかざえもん。色んなところにグッズも売ってましたししっかりキャラ立ってたので、岡崎市はなるほど頑張ってるなと施設だけでなくキャラに関しても思ったのでした。

古戦場に思うこと

甲府から名古屋まで来てみて思ったのですが、クルマですら数時間かかる道のりなのですよね。ここを万単位の人数で移動し、当時のように物の流通も整っておらずケータイも無く連絡すらママならない時代であることを考えると、どこかの国に戦争を仕掛けると言うのは並大抵のことではなかったんですよね、きっと。ゲームのように相手の城をクリックして「攻撃」ではないわけです。兵は相当疲れるし道一本埋められたら連絡どころか米を届ける事もママならないと言う恐怖、そして戦に負けたら下手すると数万人の人間がが死ぬ、と言う事実。長篠の戦いもきっとそうで、そう思えば関ヶ原に限らず戦争はいつだって「天下分け目の戦い」だったはずなんですよね。

今語られている「歴史」と言うのは今世に語り継がれているだけ、もっと厳密に言うと「今の時代の人が語っている」と言う事実に過ぎないと思います。歴史を紐解くまでもなく「歴史」なんて誰かの都合で書き換わったり、簡単に変わってしまうものでしょうから。これは別に政治的にどうこうと言う話ではなく、口伝による伝承と書物でしか過去を知る事が出来ない以上、過去は本当はどうだったかと言うのはとても不確かでいくらでも想像で埋める余地があるものだなと思うのです。もしかすると数百年後、今の萌えゲーの「織田信長」と言う女の子キャラ(リンクは貼りませんが)がどこかから発掘されて「織田信長は女性だった!!」と言う説がまことしやかに語られていても全く不思議ではないと思います。

例えば信玄が死なずに上洛していたら、そもそも長篠の大敗はなかっただろうし、そうなるときっと織田徳川ではなく武田の旗が本当に瀬田に翻ってたかも…と思うと、歴史的な何かに触れる事と言うのはもう想像して楽しむエンターテイメントの一つの極地だと思います。これっていわゆる同人文化の結構根底にあるものなのかもしれません。

次にこの辺りに来るなら名古屋城犬山城岐阜城辺りかな。最後に今回集めたスタンプを貼っておきます。今回もたのしかったです!まる。