医療的ケア児の親として

今年生まれた我が家の第4子、調子が悪く入退院を繰り返していたのですが、いくつかの病院で診てもらった結果、病名も分かり。気管支が弱いのを治すために人工呼吸器のようなものをしばらく付けっ放しで生活しなければならない、いわゆる医療的ケア児と相成りました。もうすぐ退院して帰ってくるんですが、年末までは僕がほぼ仕事を休み年明け1月からは週2勤務(奥さんは週3勤務)の体制にさせてもらってしばらく(3ヶ月?半年?)は育児に専念する日々になりそうです。

「大変ですね」と言って頂いたら「そうなんですよお」と応えるようにはしてるんですが、正直なんとかなる、というよりなんとでもなるなというのが率直な気持ちではあります。別に無理して奮い立たせている、とかでもなくて。

 

「悲観的に計画し楽観的に行動する」というようなことを孫子も、稲盛和夫さんも言ってらっしゃいますけども、自分は結構そういう生き方が好きで。ものごとにはなんでも計画・準備の段階と、実行に移す段階があるわけじゃないですか。自分の会社の経営でも家族の経営(!)でも、結構色んなことを想定していると思うし準備できるうちには特にリスク対策は結構やってるなという感覚があります。リスク洗い出すの好きだし、出来る想定は全部しておきたい。そしたら何すればいいかいざ判断する時に困らなくていいから。別に全部のリスク対策を実行するわけでもなくて、ある程度発生確率の高いことだけやればいいとも思う・・・みたいなこれは「計画・準備」の段階の話です。

一方で、実行の段階になるともはや「何を考えてもしょうがない」という状態になります。であれば色んな意味で最大限の結果を得ようとすると、悲観的にじっくりゆっくり時間かけて考えながら実行…みたいなことをせず、楽観的に明るく思い切ってやった方が大体のことはうまくいく気がします。というか実行フェーズなのに今更考えても遅いしあんまり意味ないわけで…であれば、その実行フェーズを最大限有意義にすべき、というのは必然だと思うわけです。

 

最初の話に戻ります。病気になっちゃったものはしょうがない。風邪の対策とか万全にやっておけばこうはならなかったかも、とは思うけど正直そこまでの対策を家族全員に強いて窮屈な生活をさせたくないししたくもない。でも家に帰ってきたらうがい手洗いはきちんとやる、くらいのことでリスク対策としては良かったと思うわけです。

今はもう病気の看病をどう対応しきるか、という実行フェーズなわけで。病気なんて他にもいっぱいあるし、命に別状が無い時点で正直この程度の病気でラッキーだとすら思っている。自分が仕事休むのも会社にちょっと迷惑かかるなーとは思いつつも、いずれ引き継ぐ仕事が前倒しされて結果良かったのでは、とすら思う。一番下の子とも、上の子どもたちとも遊ぶ時間が増えるだろうし、そう考えたらそのチャンスをわざわざもらったのでは…とも思う。「前向き過ぎやろ」と奥さんは言いますけど、でも物理的には何とでもなるし(寝不足にはなりそうだけど)、家族にとってはパパもママも家にいる時間が増えるということはプラスの面はいっぱいあります。

病気になってようが、うちの子は何しててもかわいい。何年か経った後に「大変やったなー」って言う思い出が一つできると思えば、みんなで新しい体験をする旅行をしているような感覚。であれば、最大限この期間を楽しんで今しか出来ないことをやっていきたいなーと思うのでありました。まる。

リーダーの辞め時を考える その2

前回の記事の続きです。もう1年前です。

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どういう時を辞め時と捉えるのか、というのが前回の話だとすると今回の話は辞め時を悟った後に実際に自分がやっていることの話。

経験値が増えないと言ったものの、例えば「引き継ぐ」「次の世代がうまく動けるようにする」「自分がいない組織で何がどうなっていればみんな幸せなのかを考える」みたいなことは当然やったことがないわけで、経験値としてはそれを貯めているし実行しているなという感じがします。

辞めた後のことなんか知らん、と言い放つことも出来るんだけど、それはどうにも気持ち悪いというかダメな気がしている。自分が長い時間をかけてつくってきたものであるから尚更、いなくなったあともうまく続いていってほしいと思う。

全てが同じままなわけはないから、色んなものはやがて変わっていく。その中で変わらないでいて欲しいものやことと、大事なのは一体なんなんだろうか?それは「組織の人たちが自由に最大限の力を発揮できていること」だと思うし、また「組織として他には出来ない、社会的意義のあることをやっていること」だとも思う。(あまり具体的に書くとあれなので抽象的に書いてます。)

じゃあ、それってどうやって守れるものなんだろうかと思った時にまず思いついたのは「次のリーダーが同じようにそれを大切に思い、そのために適切な判断をしていけるようにしていく」ということ。つまりは次世代のリーダーを育てるということでしかない。人が人を変えようなどというのはつくづくおこがましいとも思うんだけど、自分が信じてやってきたことだしそのことくらいは、押し付けて(!)もいいのではとちょっと思いながらやってます。

相変わらずゲーマーなので、人のパラメータを数値化して信長の野望みたいに並べてみたりするのも好きです。でもそれで気付いたのはリーダーというのは多分、①「全体の数字がバランス良く高いこと」と、②「何かについて一番能力が高いこと」の両方が必要なんだろうなということです。

①について。ここでいうパラメータは組織運営に必要な色んな力です。例えば会社なら営業力なのかもしれないし、企画力、技術力、あるいは英語ができる、、とかそんなことでしょうか。バランスが大事だと思うのは全体を率いるに当たってパラメータの低い穴があると、そこは誰かに完全に依存する形になってしまうため。そうなると組織のバランスは崩れざるを得ないし自分自身が最終結果にコミット出来なくなる、と思うんですよね。ただ経験も長くなってくると①の方はまぁ高くなってくると思うので、時間が解決するものでもある気がします。

②について。最近思うのは②は現リーダーと次世代リーダーで違ってもいい、というか違うべきだ、、ということです。②でキャラがかぶってるのは多分引き継ぐ上でだいぶ辛いと思うんですよね。なんでかっていうと比較が容易だし往々にして現リーダーの方が能力が高いから、そこで移行すると組織全体が劣化したように見えてしまうわけです。そうなるくらいなら全く違った②の能力で持って全体を牽引するような形をとった方が、組織はスムーズに変わっていくんじゃないかなと。何か突き抜けたプロフェッショナルとして②の力を持っていれば、その立場で色んなものが見えるはず。例えば会社においては営業上がりの社長もいれば、技術上がりの社長もいる。それは言い換えると②は何でもいいということだと思います。

最後は、自分自身は不安との戦い。その上で覚悟して任せられるかどうか。その時がくるまでにどれだけ自分にとっての確率を上げておけるか、が引き継ぐ側の最後の勝負だろうなと思い「楽な仕事だなー」と一定思われてることを知りながら、がんばるわけです。まる。

 

 

合理性の獣

すいません、タイトルは言いたいだけです。最近ガンダムUC(ユニコーン)を見直していて、やっぱかっこいいなーーと。OVAしか見てなかったので改めて見てるのはTVのRE:0096の方。音楽もOVAと同じものが一部使われてたりして本当に良い。

 

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自分にとっての合理性というものについて書いておきたい。自分自身はやはり、自分が決めた 理 に従って生きていきたいと思っている。これはかなり根本的なところにあるなと気付いた。

目的を持ち、目標を定め、それに向かって進む。日々の生活における合理というのはそんなものだと思います。だから当てもなく買い物に出てぶらぶらするのも好きじゃないし、目標も持たず生きる人間を見るとどうしようもなく腹が立ってくる。仕事をしていても「なんでだっけ?」って聞いて答えられないような仕事に対しては、まず筋道を立てて欲しいと思ってしまう。

合理と情理、というような言葉があるけれど、情理は当然あるし理解しているつもりでもあるけど、それ自体もかなりの部分を自分の合理性の中で判断している気がする。自分自身は全く感情的なつもりはなくて、もし周りから感情的に「怒ってる」というように見えるなら、それは自分にとっての不合理から来るストレスの発現なんだろうなと思います。

 

別に合理的に生きないことがダメだと言ってるわけではなく。みんなそれぞれが幸せに生きてるならほんとそれで良いと思うんですけどね。それでも何かに迷ったり、不幸せに生きている様子を見るとやっぱり「やりたいことないの?好きなことを目標にしたら」って言いたくなってしまう。だってそれって数少ない、誰にでも出来る幸せになるための合理的な方法だと思いますし。

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このエントリも自分にとっての一つの真理であり。好きなことを軸にして、徹底的に合理的に追求していく、、というプロセスは自分が得意なものだし絶対にやり切れる自信がある。考えて解決しない問題なんてあまり無いはずだから。(解決出来ないときは何か不合理なものが紛れ込んでいることが多い)

 

自分の子どもたちに対して思うことはただ一つ、幸せに自分の力で生きて言って欲しいということ。自分が38歳にしてわかった数少ない方法論があるとしたら、ここに書いたような話。他の方法でももちろん良い。何でも良いから自分なりの答えを見つけて幸せに生きていって欲しいなと思うのであります。

そのためであれば、自分は喜んで合理性の獣であろうと、改めて思うのでありました。まる。

 

子どもたちと友達の関係

この週末、たまたま3人の子どもたちそれぞれと友達がいるとかいないとか、ほしいとかほしくないとか、ケンカしたとか、一緒遊びたいとか、そういう話をしました。三者三様で色んな距離の取り方があるなと思います。

真ん中の長男は割とわかり易くて(少なくとも男親の自分にとっては)、いつも仲良く遊んでる友達と些細なことでケンカしたようで「もう遊ばない!」って言われてショックだった、、みたいな話でした。ただ、男友達の関係なんてさっぱりしたもんだから「悪いと思ったんなら来週会ったらごめんね、って言えばいいじゃん」で割と納得できたと言うか、大丈夫かなと思いました。これまで他の友達ともケンカしたり仲直りしたりしてるのできっとそうやって学んでいくのでしょう。

下の次女は仲良くなってからは大丈夫なんだけど仲良くなるまでがシャイと言うか、なかなか時間が掛かるようで、初めての人がいっぱいいる場所とかあまり行きたがらないタイプ。こないだも忍者体験教室(お兄ちゃん入れて3人しかいないんだけど。。)で大泣きしたりして中々難しいもんだなと思います。彼女の今の悩み(?)は「保育園で一番仲良くしているお友達に嫌われたく無い」という気持ちのようで、服の選び方とか、保育園での遊び方とか、それを基準に選んでいる様子。若干依存し過ぎな感があるのが少し心配ではありますが、仲良しの友達がいること自体はよかったねと思います。今日は朝からその友達が家に遊びに来てくれて2人で仲良く遊んでました。

一番心配だなぁと思っちゃうのは上の長女の方で、もはやあまり人に関心が無い、、という状態なのかもしれない。「友達とケンカしたこと一度もない」と言う話から、それってほんとに友達なの?という話になり、自分が何か言ったところで人が変わるとは思わない…とか、そのスタンスでそもそもいいの?とか、逆になんでそんなお節介なの?とか、いやいや友情ってそういうもんでしょとか、平行線ではあるんですが思ってることは色々分かってきました。人に対する愛情の深さだったり執着だったり、あとは自分自身の自己肯定感とか。親の自分の考え方が絶対とは思わないけど、漫画のワンピースみたいな友達とかってちょっと良いなって思わんの?って聞くと「うん」と言うので、いたら良いなと思ってはいるみたいで。少しずつ自分が納得できる形で距離の取り方を変えていけばいいなと思います。

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長女と話して思ったんですけど、そもそも友達との関係なんてお節介のカタマリみたいなとこあるじゃないですか。それは家族でも同じなんですけど。何かその人がすることに対して本気で怒るとか、それでも一緒に何かしたいとか、楽しいと思うとか。考えれば考えるほど特殊な感情だし身勝手だなとも思います。でもそういう距離感に誰か人がいると言うのは多分幸せなことでもあるはずで。どのくらいの距離にいてほしいとか、何人いてほしいとかそういうのは人によって違うとは思う。

友達というか人間関係の距離を縮める上では色んな恐怖も心配も、失敗もあるわけですけど、それを恐れずやってみたいと思えるある種の覚悟と、あとは自信とか?そんなものだけあれば良いはずで。(すぐに覚悟と自信の話にしてスイマセン) 何かやっちゃっても「ごめんね」で良いし、全力でやりたいことをやってみてそれでも伝わらなければ最後の最後はしょうがない、で良いかもしれない。

「友情」みたいな言葉が色んなテーマになっていることを考えると人類とは切っても切れない概念なんだと思います。それは人生に必要なものなのでしょう。ぜひ子どもたちにも良い友達関係を作っていけるよう、日々悩んでいってくれればなと思うのでありました。まる。

毎日毎日子どもと文字を書く日々

最近気付いたんですけど、何かを習慣的に続けることって自分は結構得意なんだろうなと思います。習慣、と言えば8年前の記事にこんなものがありました。

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ここにはやりたいと思うことを習慣化せよ、というようなことが書いてあるけどそれは確かにそうで。習慣化してしまうものもあるし、意図して習慣にしたものもあるのでしょう。続けることが得意というか苦ではないなと実感するのは、ingressとか結婚する前からやってるけど未だに続けてるし(もう7年くらいやってる)、最近やってるガンダムのゲームでも飽きずによくやるな…とか、あとは最近だと毎日の生活とか、割と何に対してでも思います。

毎日お風呂から出たら子ども達と20-30分くらいは勉強することにしてるんですけど。もうやり始めて1年くらいになるんだろうか。ドリルも数冊ずつ終わった気がする。上の子は来年から小学生だけど足し算やったり英語やったり、こないだは一年生の漢字が終わって今は九九をやってます。下の子は2つ下だけど最近はひらがなを1日1文字ずつ。あとはおべんきょうというか学習系のコンテンツがあって、それを1日1つみながら一緒にやるアクティビティを。パパは動画は一緒にみながら、子どもたちが文字を書いてる時は今はTOEICの勉強しています。

思い返してみると面倒だな、と思うことが僕自身はあまり無くて。やることになってるからむしろ今日もやりたい、という気持ちの方がどっちかというと強い。多分この一緒に勉強する時間もほぼサボらず週に5日(休日は無し)は子どもたちも一緒に勉強出来てると思います。

子ども達に関してはイヤイヤする時ももちろんあるんですが、続けてくうちに「そういうもんだ」とは多分思ってるように見えます。あとは成長実感を持てるように、自信が持てるように親が褒めてあげれば勝手にやるようになるのでは・・・という気がするんですよね。これは確信ですが、学ぶ、という習慣については人生の後ろの方にいくと多分身に付けるのが難しい。学ぶことの楽しさ面白さを何かしらの方法で自覚して、自走できるようにならないと嫌々やってても絶対にやりたくなくなる。だから、今のうちに新しいことを知るって楽しいよね、という感覚を持たせられるかどうかを我が家の教育(というとなんか違う気がするけど)の重要テーマにしよう、と思っています。

 

結果的に自分の幼少期を振り返ってみると。なぜか小さい頃からよく漢字の書き取りして遊んだり、日記書いたり、あとことわざ覚えたり・・・というおべんきょう的な遊びがすごく多かった気がする。双子の兄と結果的に切磋琢磨することになったのもよかったのでしょう。ひらがなも漢字もある程度書けて算数の基本が出来た状態で小学校に入ると、今でもよく覚えてるけどほぼ無双状態なわけです。そしたら「あ、自分は出来る方なんだ」って思えて自信が付くし、そしたら負けないようにもっと頑張るし、、という好循環だった記憶がある。今もおべんきょう、はだいぶ得意な方だと思うけどそれは30年前から変わらない習慣のおかげなんだろうな、と思うわけです。

自分で考えて学んで進んでいく力さえあれば、どうやったって幸せに生きていけると思う。だから子ども達には明るく楽しく前向きに、学び知るということを楽しめるように時間を使っていきたいなと思うのであります。まる。

 

哺乳瓶はサイダーの香り

さて、ワンオペ育児期間が終わって、下の子と奥さん帰ってきたらまたもっと忙しくなるだろうなと思ったらやはりその通りでした。なんだかんだでオペレーションが洗練されてくるとコストが下がる。大人のマンパワーが2人に増えたとて一番下の子は手がかかるし、奥さんも一定手がかかる(!)と言うかバランスを取り戻すためにもう少し時間がかかるのだろうなと思います(洗濯物の洗い方一つとっても指摘が入るのでつらい、、というレベルの話なので深刻なことではない。)

 

何年振りかに哺乳瓶を洗っていると、懐かしい香りがした。 

 我が家はこれを使ってるんですけども、なんか三ツ矢サイダーみたいな香りするんですよ。思いません?で、急に上の子達の哺乳瓶洗ってる頃、生まれた頃のことをまとめて思い出してとても懐かしい気持ちになりました。

 

考えてみると上の子達が小さかった頃って人数少ないのにもっと余裕無かった。単純に経験値の無さ、余裕の無さだったのかもしれない。経済的な余裕、、と言うのはあんまり変わんないと思うけど初めてのことも多かったからずっと気を張っていたような記憶はある。あと仕事自体の余裕もできてるからかな。家庭に使える時間は昔に比べてだいぶ増えたなと自分でも思う。いい時代になった、、と思うしそうなるように生きてこれたのは自分の努力の結果かなとも思う(えらそう)

 

香りってあまり気にしたことないんですけど。記憶が呼び起こされる重要なトリガーになってるんでしょうね。自分で書いたブログで好きなシリーズ読んでても、お線香の香りとか、実家の庭の匂いとか自分はすごく好き。人の匂いっていうのもそんなに意識して生きたことは無いけどきっと感じてるんだろうなぁ。同じ人の家は引っ越しても同じような匂いがするのは間違いの無いところ。

 

色んな記憶を集めて、ブログに書いて、何かのきっかけで思い出して、なんとなくほっこりして、自分で自分を確認して、また何かを考えて少しレベルアップしたような感覚を得る。子育てしてても楽しいのはこれと同じプロセスなんですよね。改めて考えてみて、自分の趣味の大きな部分はこのフレームなんだろうなと思うに至ったのでした。あと単純に色々集めて並べるのが好き、っていう。それについても自分について考察してみたいところです。まる。

 

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ワンオペ育児で3人の子どもと3カ月過ごしてみるの巻 #09

だいぶ間が空いてしまいました。気付けば明日奥さんと次男が帰ってくるので今日で3カ月のワンオペ育児タイムも終了です。この3か月どうだったのか…振り返ってみたいと思います。

 

全体的に

自分で点数付けるとしたら何点くらいだろうか。70点くらいかなぁ。まず大きな問題なくちゃんと乗り切れたこと、これに尽きる。何か大きな問題が起きるのだろうな、、と思っていたけどそうでもなく、大方予想通りに進んだなという感じです。仕事も珍しく忙しい時期だったにも関わらずこの状況だったのにこれは意外。家族みんな元気で?ちゃんとこの日を迎えられたことをまずは素直に喜んでおきたい。

 

よかったこと

子どもたちの成長を横で実感できたことですね。みんな日に日に成長していて、それを身近に感じられたのは本当に良い時間だった。奥さんが帰って来てもこれは続けるというか感じられるようにありたいと思う。

まず長男。僕への気遣いや優しさ、妹との付き合い方、保育園の過ごし方とかこれまで見えなかったものがすごく見えた気がします。色々考えて生きとるなぁ、、と思うし、あと日々日々出来ることが増えていく。気付けば一年生の漢字ドリルも半分くらい終わったし自分の名前も漢字で書けるようになってきた。僕自身が大げさなくらい喜ぶからか(本当に嬉しいんだけど)、前向きに勉強だったり色んなことに取り組んでるようにも見えます。理由がそれであっても 気の弱いところもあったけど色んなことに泣かずに取り組めるようになってきたし集中力も上がって、ピアノも15分くらいは集中して弾けるし勉強もできる。いい感じです。あとそろそろちゃんと本読んで欲しいなと思ってた矢先、マインクラフトの攻略本を真剣に読んでるのでこれはこれでいいのかもなと思います。

次に次女。一番不安定だったかもしれない・・・言うてもまだ3歳で、この期間に4歳になったばかり。好きなものもこの3カ月で変わって、元々はディズニープリンセスのアリエルが好きだったのに今はすみっこぐらしが好きらしい。「しろくま」というキャラのぬいぐるみをスイミングの帰りに買ったらえらく気に入ってずっと持ってる。気が強くていつもお兄ちゃんに意地悪してばっかりかと思いきや、ちゃんと女子っぽいところもあるようです。あとすごく拗ねたり怒ったり笑ったり喜んだり感情の起伏が激しくて奥さんにマジで似てるなと改めて思ううし(顔は自分に似てるんだけど)、長男との性格の違いを感じます。ママが帰ってくるまであと2週間を切った頃からは先が見えたからかだいぶ落ち着いて来ました。お兄ちゃんと一緒に勉強するようになったり、あとiPadでマイクラを一緒に出来るようになったのはすごい成長だなと思う。

最後に長女。中学生ですし難しい…という言い訳はさておき、一番扱いに困るのは事実。比較しちゃいかんのは頭ではわかってるんだけど、物理的にもっと頑張れるだろ!と思ってしまう。まぁ確かに、自分が学生の頃も確かに自堕落な生活は送って居たような気はする。果たして彼女はこの3カ月でどれだけ成長したのか、、ママが帰って来てからの家族会議で明らかになるはずなので乞うご期待。

そして自分自身について言うと、家事力がだいぶ上がりました。また自分一人で子ども達を全員見ることになっても全然何とかなると思う。リモートワークと保育園に感謝。ご飯作ってさえもらえたら他はやれるなという実感。仕事でも同じですけどやらないといけないことは全部ルーチン化してしまえばあとは無心でやるだけなので、いかに定型化して自分の中で思考せずにやるかというのが大事な気はします。逆に作業としてやっていればその間は色々考え事出来るので意外と時間はあるな、という感じ。多分その定型化自体が自分は割と得意で、だいぶ規則正しい生活したなと自分でも思います。なぜかピアノの練習もルーチンに組み込まれてしまいだいぶ練習してしまった…気付けばもうピアノ買って3年目ですが、教本の1ページ目のカノンは暗譜で弾けるようになった。今はG線上のアリアを練習中。

 

もっと頑張れたなと思うこと

これが残りの30点、とはいえもっと子どもたちのことを考えて彼らのためにしてあげられることは合っただろうな…という思いがあります。もっと遊びに連れてってあげたかったし、一緒に色んなことをすることが出来たはず。もちろんずっと一緒にいるんですけどね。例えばケータイを見ないとか、考え事をしないとか、よそ見をしないとか、そういう話です。

上で書いたように本当に毎日成長してるなと思うし今しかない瞬間というのがたくさんありました。例えば昨日は築地に会社の同僚とノンアルバーベキューに行って海老を焼いたんですけど、海老ばっかり食べてるの見るとこの子ら本当に海老好きなんやなと思ったし、でもBBQの海老の固さだとまだ噛み切れないんだなとか、海老買ったらオマケにくれた海老の折り紙をかわいいからってとりあえず分解してみるんや…とか(※元に戻せません)、あとよその人たちがいる前だとケンカしたりしないしワガママもあまり言わなくて、この子らなりに結構気を遣ってるんだな…とか。そんなことにもっと気付きたいしよりよくかかわっていくことはまだまだ出来たと思う。

 

おわりに

そして当たり前のことに気付く。やっぱ子どもってかわいいなぁと。文字通り宝物なわけで。彼らを見守り育てるという立場ではあるが、それ以上にこちらが得られているものの方が十分に大きいような気がしてくる。4人とも健康に、そして自分たち自身が幸せだと思える生き方で育っていって欲しい。そのための環境を作って応援することしか出来ないけどそれはそれでまたこちらも幸せなわけで。そういうことに改めて気付けただけでも自分にとってのワンオペ育児期間はとても意義がありました。またぜひやりたいものです。まる。(言うてたらそのうちその機会は来そう…)