30年後に伝わるもの (「フィッシュストーリー」 - 伊坂幸太郎)

中篇集。いつもの黒澤さんが出てくる話など4編。「サクリファイス」と言う話が2つ目に入ってるんだけど、これはこれで「ひぐらし」っぽくて良かった。こういう文化って今もどこかに本当にあるんだろうか。
1つ目の「動物園のエンジン」はいつもと違った感じ。今日は表題作の「フィッシュストーリー」について思ったことを書いておく。

20年前、30年前、そして現在をつなぐ何かが色んなところに隠れている。ひょっとしたら今こうやって書いている日記も、30年後に子どもたちのうちの誰かが読んで何か考えるのかも知れない。

人は人に全てを伝えることは出来ないだろうと昔から思っていたんですが(情報量的な意味で)。もしかすると、自分と感覚の近い肉親であれば、全てを伝えることは出来るのかもしれないなと思う。例えば、自分の子どもとか、双子の兄とか。

未来に何か残したいとか、誰かに何かを伝えたいとか、そもそもどうして思うんだろうね。根源的な欲求?

でも30年後に何を残したいか、知って欲しいか考えたけど思い付かなかった。結局のところ「何」を伝えたい、というわけではなく「何か」が伝わればいいと思うだけなのかも。人が思うことは突き詰めると「存在を知って欲しい」ということだけなんじゃないか。シンプルだわ。


「英語で、『fish story』ってのは、ほら話のことだ」 - 鉄夫

フィッシュストーリー

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