キュレーションシリーズその3。タイトル長くてすみません。Web上のメディアを2つに分けて、その未来の姿を考えてみたい。特に受動的なメディアの未来について。以下の記事も併せてご覧下さいまし。
定義
明確な目的を持って見るものを能動的なメディア、目的を持たずにとりあえず見るものを受動的なメディア、と言うことにします。「○○について知りたい、買いたい」などは能動的、「とりあえず見とくか」は受動的。どのメディアも両方の側面があるものの、その時々の使い方でどちらに分類出来るかは変わってきます。例えば以下の記事に「受動的メディアとは、ユーザーが能動的にハイパーリンクをクリックしてコンテンツや情報を収集せずとも最適化して届けてくれるサービスのことである。」と書かれていますが、受動的というのはそういうイメージ。
能動的なメディア
明確な目的を持って何かしたい時に使うメディア。Web上だと「○○について知りたい」時にググるし、「明日の夜おいしいもの食べたい」時は食べログで調べたりします。以下のようなものがあると思う。
目的 | メディア |
---|---|
目的についてのサイトを探したい | google, yahoo, etc. |
晩ご飯食べるとこ探したい。評価を知りたい。 | 食べログ, hotpeppr, etc. |
週末旅行行こうかな。と言うか夜行バス予約したい。 | じゃらん, 楽天トラベル, etc. |
あの用語/出来事について知りたい。 | wikipedia, etc. |
先週買ったゲームの攻略を見たい。 | ファミ通 (←僕です。) |
そう考えるとリクルートのサイトはどれもバーティカルメディアで、基本的には顕在ニーズに対するアプローチばっかりなんだなぁ。。
受動的
明確な目的を持っているわけじゃないけど、とりあえず見るメディア。「なんとなく見たい」「なんか見ちゃう」から見るメディア。以下のような感じ。
分類 | メディア |
---|---|
SNS | twitter, facebook, mixi, gree, mobage, etc. |
マスメディア | テレビ、ラジオ、新聞, etc. |
ポータルサイト | Yahoo!, livedoor, etc. |
動画サイト | youtube, ニコニコ動画, etc. |
雑誌 | いろいろ。。 |
時間の使い方は色々ありますね。概念を「何かを読む/見る/聞く」等から広げると、例えば「本屋に行く」「東急ハンズをうろうろしてみる」と言うのもある意味、そういうメディアから受動的に情報を得ようとする行動と言えるかもしれない。
もちろんメディアの使い方次第でどちらにもなる
上の分類は目的とセットで書いているからこうなっているわけで、例えば「○○君の様子が気になるからfacebookで見てみよう。」「昨日のあの事件の続きどうなったかな。新聞見てみよう。」は能動的です。
それぞれの価値基準は?
能動的なメディアの良し悪しを判断する基準は「どれだけ探す意図に沿えるか」じゃないのかな。
- 目的に早く辿り着けるか
- 知りたいことが全部載っているか
- 見やすいか
- 正確か
- 詳細か
- 選択肢があるか
- 比較軸に納得感があるか
- 客観的評価があるか
とか?よく利用されるバーティカルメディアにはそれぞれ理由があるはずで。こういうのがちゃんと設計されてると使いやすかったりするのではと思う。(他にも軸はあると思う。)
じゃあ、受動的なメディアの場合は?今日の本題。
みんなは受動的なメディアに何を求めているの?
15年くらい前からか、僕自身はTVを見る習慣が無くなってしまいました。意識的に「明日からテレビ見るのやめる!」と思ったわけではもちろんなくて、理由は「TVが別に面白くなくなった」とか「TVより他に時間使いたいことが出来た」とかそういう感じだったと思う。思い返せば高校1年の時にプログラミングにハマって以来、TVじゃなくてPCの前に座るようになった気がする。
なぜかつてはテレビを見ていたのか、そして今はfacebookやtwitterを眺めるのか。理由は「いまそれが心地良いかどうか」しかない。じゃあその心地いいのってなんでだろう。
- 変化がある。動きがある(=見るたびに違ったものが見える。更新性。)
- 発見、気付きがある
- 興味がある、好きなものがそこにある(→見えたものが、好きなものである確率が高い。)
- 友達がいる
- 共感できる
- タダ、お得感がある
- かわいい、かっこいい、笑える。エロい(すみません。)
- なんか良い、なんか面白い(言語化出来ない何か?)
他にもありそうだけど、いま思い付いたのはこんな感じ。「何かキッカケがあってそのメディアに辿り着いて」、「いいね!」と思ったら「習慣化」してそれを見ると言う流れ。習慣化するためには繰り返し触れる頻度だったり、「みんな使ってる」と言う評判とか横並び感だったり、「家にあるから」と言う必然性だったりするんじゃないだろうか。
前回の記事に書いた自分が必要とするもの、と言うのはこの受動的メディアの側で考えたものです。僕がファミ通を見るのも、はてなブックマークのホットエントリーを見るのも、佐々木俊尚氏のtwitterを見るのも、秋葉原のヨドバシカメラをたまにうろうろするのも「なんか好き」なことがそこにある「確率が高い」から。
まとめ。結局自分にとっての「いいね!」って何なの?
自分にとっての「いいね!」とは何でございましょう。Facebookで「いいね!」と押したものはもちろん、「いいね!」と思えるものは世の中にたくさんあって、当然多種多様でみんな違っていて。人生と言うのは、自分にとっての「いいね!」を探す旅なのかも知れませんね……と言うのは置いといて。
自分が選んでいる受動的なメディアと言うのは恐らく、今まで見た範囲で一番「いいね!」の確率が高いものなんじゃないだろうか。情報はこれからも増え続けるし、それを色んな軸で整理するメディアもまた増え続ける。キュレーションが進む世界と言うのは、その編集される軸が増えていくと言うことでしょう。だとするとこれから現れるのは、自分の中の「いいね!」軸みたいなものを見つけるためのものだったり、「結構いいね。。」と思えるメディアを「超いいね!」に変えていける仕組み(集める仕組み?改変する仕組み?)なのかもなぁ、と思います。facebookのタイムラインが自動的に友達や投稿内容を選別してタイムラインに表示してくれるのは、今の時代の最たるキュレーションじゃないのかな。「ユーザーを選び、コンテンツの編集軸を選ぶ自分」と「機械的な仕組みで好きな軸を選んでくれるFacebook」、この2つがあってFacebookは受動的なメディアとして成長を続けているのだと思う。
世界をそういう風に捉えた上で新しく受動的なメディアを作るとしたら、どんなものがいいんだろう。