ネット上の情報はフローでしか消費されない

しか、は言い過ぎですけど。

例えばこの記事を読んでいる人はどこから辿り着いて下さったのでしょうか。恐らくソーシャルメディアか、RSSリーダーか、ほぼどっちかですよね。流れているタイムラインのフローの中で目に留まったから、見てもらってるのだと思います。情報の消費って結局この「流れの中で目に留まったから」と言うパターンばっかしじゃないかと思うのです。

今回はキュレーションシリーズその4。結論は特に無いです。今までの流れを三行で言うと、

と言う感じ。

新しいものしか見ない。いや、見る機会が無い。

受動的なメディアと能動的なメディアがあるけど、どちらをどの程度消費しているのだろうか。根拠はないけど8:2くらいな気がします。

今お読みになっているこの記事、4/15(日)に渋谷のスタバで書いてますが投稿したのは4/17(火)です。あ、まんとるぽっとは特に読んでほしい記事については火曜日午前に毎週更新と言うことにしましたので、これから毎週火曜日に見に来て下さい!それ以外の日は多分ゲームとかマンガのレビューしか書きません!!

とにかくですね、この火曜日に新しく投稿されて、恐らく長くても数日間しか読まれなくて、以降はたまーに検索や過去ログ見る人が見るくらいなのですね。そりゃそうなんです、誰の目にも触れなくなるから。もしどこかで取り上げられたりしたらまた日の目を見るかもしれないけど、それもそういう「フロー」に乗ったからです。人が目にする、見ることにしている情報の流れ。その中の情報しか普通は見られないはず。ここにも書きましたが、有名人のツイートでも賞味期限は3日程度です。

別にネットに限った話ではないんだけど

例えば新聞と言うものがありますが、新聞は文字の通り新しいことを見聞きするためのもので、毎朝届くと言うその情報の流れが価値なわけで。昨日の新聞には基本的には古新聞紙としての価値くらいしか無いのです。既に明日には、今日のことは新しくないから。雑誌の先月号とか何かの会報とか、定期的に発行されるものは大体そうでしょう。

新しいものこそ価値があるのだ

不思議なことなんですが「新しい」と言うことはそれだけで価値になるんですよね。例えば数日前、北朝鮮がミサイル発射したニュースがありましたが、それを仮に今日流したとしても「おいおい何で今更言ってんだよどんだけ遅延してんだよ」と思われてしまうわけで、価値が無いわけです。価値が無いどころかマスメディアで古いニュースを流そうものなら信用すら失いそうです。

でもね、たまたま知らなかった人には「先週、ミサイル飛んで来たよ!」と言うのは意味のあるニュースのはずなのです。でも、多くの人は知ってるからそういうのは流さない。だから一般的に多くの人が見ているメディアが自分自身に持たせている価値は「見ている大多数の人が新しくて興味ありそうな情報を流す」と言うことになりますね。

ソーシャルメディアの価値の発生

新しければ良いかって言うともちろんそうではなくて。例えば毎分「渋谷なう!」「渋谷から200mなう!」「信号待ちなう!」とかツイートしようものなら、フォロワーの皆さんからそっとリンクを外されそうです。新しくて、意味があって、自分が欲しいと思える流れがそこに無いとメディアとしての価値は無いわけですな。

例えば上記のような僕のうっとうしいツイートが流れてればそれは無価値ですが、みんながほどよく「〇〇なう!」して、友達の大半がそこでワイワイ言っていればそこには見るべき価値が生まれてきます。ソーシャルメディアの、自分にとっての見るべき価値って言うのはそういうものじゃないでしょうか。自分の興味がある人たちから、それなりに見る価値のある情報が程よく流れてくる「友達の情報をいい感じでまとめて見れるメディア」、それがtwitterfacebookになってると思います。

最強の受動的メディアとは何であるか

twitterとかFacebookは自分の嗜好に近い人が集まっていて、その人たちがキュレーションしたものだけ見ていればある程度情報収集はこれだけでもいいかもって感じがします。でも最近はそれすら結局情報が多くなり過ぎてフィルタリングが必要になっている気がします。ありていに言いますと、フォローしている数百人の情報を全部見たいかって言うと、結局見れないし見たくないわけで。。と言うことを前回書きました。

一様に同じ情報をメディアが配信して、それをみんなが見るようなテレビや新聞の時代は既に終わっていて、一人一人が見たいものだけが見える時代になるはず。「色々見ることが出来る選択肢がある」のではなくて、「気付かないうちに選択しているものは、見たいものばっかりで構成されている」と言う感じになるんじゃないかなぁ。テクノロジーの進歩で一人一人に合わせたモノがいくらでも作この時代、色んな情報源は必ずその方向に進んでいくと思います。

個人がブログやソーシャルメディアでキュレーションしてメディア化していく流れは、個々人が自分の軸で情報をまとめて発信することを可能にして、その「個人の軸」を他人が使えるようになっているところにこそ意味があると思います。自分に合った人を探してその軸を利用して情報を集めることで、自分の受動的メディアの効率を上げていくことが出来るはずです。

でも、他人は他人だから、その軸だけでは情報収集にきっと過不足が出る。それを補うために自分で何か別のものを取り入れる必要があるのが今の世界だけど、10年後くらいには「何もしなくても」自分に必要なものがほっとけば全部揃ってる世界になるんじゃなかろうか。自分に必要な、欲しいと思っているものが勝手に揃う受動的なメディア。頭の中を知って、興味がある何かを、世の中から精度100%で取って来てくれる不思議な仕組み。「人の軸」で情報を集めることが出来るこのキュレーションの時代と、自分のWebの世界でのアクティビティを他人が(システムが)知ることが出来るこの時代の延長上に、そういうものがある気がする。

自分の中の色んなこと、自分と他者の繋がりも、いつかは電子化されて全部ネットの中に取り込まれるのだろうか。そういうマトリックス的な世界、理系の夢だなぁ。そんな世界に向けた、ものづくりがしたい。(結論なし)

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