踊る大走査線FINALの感想とグッズと、正義について

踊る大捜査線の映画を見て来ました。ついにFINALですって。ファイナルと言ったけどまだ続いたりして。。なんてな。

組織と正義の話の結末。やっぱり柳葉敏郎(室井さん)がすごくかっこいい。今更面白さを語るまでもないので、今までのファンの人は見に行って損はしないと思います。

感想は一番下の方に。あと買ったグッズの写真を貼っときます。一番上の写真がカエル急便のニットキャップ。かわいすぎです。今年の冬はこれかぶってスノボいく!

イヤホンジャックストラップ。カエルがほしかったんだけど、バナナだった…。バナナ…


クリアファイルセット。これは使うしかない。


以下、ネタバレと言うか感想なので読みたい人だけ。

正義の話

色んなテーマがある踊る大捜査線ですが、その中でもこのテーマはとても大きい。組織の正義と現場の正義、または個人の正義。

組織の正義を守るために、個人の正義だったり現場の正義がないがしろにされる、と言う構造で描かれることが多くて。その対立だったり葛藤だったり、それを変えるために青島や室井が頑張っていくストーリーが毎回とても面白い。目の前にある正義を守りたい現場と、組織としての正義(規律とかルールとか、体裁とか)がどう折り合っていくか。

「正義とは」なんて大昔から議論されているけど答えなんかなくて。人や組織の数だけ正義があるから衝突するわけだし。絶対的な正義があるなら戦争も、ケンカすらも起きないはず。ただ多数派だったり権力を持っていたり、客観的に多くの人が支持してそうな正義が「正義」とされることが多いのは確かなんだろう。「踊る」の中で警察官僚が責任を室井と青島に押し付けようとしたのは、警察組織を組織として守っていくためにはある意味正しい。

ただ今回の映画は組織の正義が「悪く」描かれ、最終的には官僚も処罰され青島達が勝つと言うストーリーになっていて、まさに「正義は勝つ」と言う感じだった。「組織のそれは、正義じゃないよね」と言う感じが醸成されていて、別にこの点で正義は対立してはいなかった。むしろ今回の話で考えさせられるのは鳥飼や小池や久瀬がやったことが「正義」だったのか、って話。

手法としては「法律が裁かないならこの俺が…」と言うパターンです。そりゃ今の法律に照らせば人は殺しちゃいけないことになっているので、そういう意味では「正義ではない」んですけど、感情的にはとてもよく分かるわけで。日本にも昔、敵討ちと言うものもあったわけですし、法律として正しいかどうかなんて言うのはここでは問題ではなく。

もちろん殺される側だったり法律を守る側にしてみればもちろんそれは正義ではないわけだし、そういう意味では「誰かの正義」は大体「誰かにとって正義じゃない」と言うことになってしまう。つまりは「正義」を意識したり言ったり、口にした時点でそれは本当の正義(全員にとっての)と言うことではなくなってしまう、と言うことかも知れない。

正義なんて言葉は口にするな。……心に秘めておけ - 和久さん

と言う和久さん(いかりや長介)のセリフはそういうことなのか、と思ったのでありました。

青島が現場で頑張って、室井が上で頑張る。「現場が正しいと思うことが出来るようにする」と言うことが最終的に実現されたので、物語としてはこれで終わりでもいいのかなと思います。現実に15年経っていることを考えると余計にその意味が分かる気がする。

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