カモミールとブログと日記と家族旅行とドラクエ10のエンディングと一人の時間とプレゼント

今日の日記、ってタイトルにするのもなんかしゃくだったので適当につけたらこんなタイトルになった。ここ1週間くらいであったことと考えたこと。

今日はアイスカモミールミルク紅茶です。濃厚なミルクの味わいにカモミールの爽やかな香りが…とか言えないのですが、結構いいかも。ついにプリペイドカードを買ってしまった。。ポイントが貯まるやつ。Precious Cardと言うらしいです。(上島珈琲の話をしてます)

ブログと日記

しばらくブログを書いてみてPVも順調に増えてきて思うのが、記事によって見る人が全然違うってことと、そもそもアクセスの入り口はindexではなく個別の記事がほとんどだと言うこと。このブログがブランド化してくればトップ記事に別に面白くもない日記があるのはなんだかなぁと思うものの、当面は見たい人は見たいものしか見えないはずなので日記も適当に書くことにしようと思います(誰に言い訳してるんだろ。。)

家族旅行

週末、家族で旅行に行って来たんですよね。母は結構いい年だし、家族4人で旅行とか出来るうちにいっぱいしておきたい。と誰かが思ってるのか思ってないのか知りませんが3年前くらいから毎年のようにどこか行ってるような。2年前はスイス、1年前は会津、今年は東北の白神山地と平泉に行って来た。家族や友達、同じ人間関係がずっと続くわけなんかないので、大事に出来るうちに大事にした方がいいに決まってる。母が今みたいに元気に旅行に行けるのもそう長くはないだろうと思うと、やはり出来るだけ行きたがってるところ、その中でも出来るだけ遠くに早く一緒に行っておきたいと思う。「連れてってあげる」とかではなく「一緒に母と旅行したいと思う」と言うこの気持ちこそがきっと最大の親孝行なのだろう(←自分で言ってて寒気がした…)いつまでも元気でいて欲しいなー。

ドラクエ10はやはりドラクエだった

旅行に2泊3日で行った反動で盛大に朝からドラクエをやって、ついにエンディングまで辿り着いた。賛否両論のあるドラクエ10だけど、やはりドラクエドラクエで、とても王道で、作り込まれた万人受けするストーリーや世界はさすがRPGの代表だと改めて思った。明日の大型アップデートの前にクリア出来てよかった。まだまだしばらく楽しめそうなのがうれしい。ゲームに限らず、楽しいモノやコトがずっと続いていく、そういう未来が見える瞬間が一番嬉しい。

わざわざカフェに来てブログを書いたり読書すると言う自己満足

別にネットしたり読書するなら家でやればいいんですけど、それでもついカフェに来たりスタバに来たりして色々やってしまう。家だと気が散るから〜〜と言うのも少しはあるけど、ほとんど「なんかカフェで読書とかしてる自分が好き」だからやってる気がします。でも、それでいいんだろうなぁ。人生の個人的な目標なんてみんな自己満足なわけだし。そういう自己満足を満たしてくれるスタバの存在はやはり偉大だなと思う。

一人の時間を楽しんでいる、と言う欺瞞

別に友達がいないわけじゃないんです。でもここしばらく、半年くらいかな。特別な用事が無いと週末にあまり誰にも会わなくなってしまった。しまった、と言うと悲しい感じになるけどとても満足している自分がいます。一人で本読んだり、ゲームしたり、プログラム書いたり、仕事の資料を作ったり、自転車でその辺うろうろしたり、そういうのがとても楽しい気がしている。たまには誰かと買い物に行ったりずっと部屋で一緒に本読んでたりするけど、基本的に誰とも話さずに過ごす(過ごせる)時間が増えたのは自分に取って価値があると思う。就職してすぐの頃は人と話すのが楽しくてしょうがなかった時期があるけど、それの反動かもしれない。自分と話す(←詩的な表現です)時間は人と話す時間以上に貴重なものだ。自分は思っている以上に自分のことを知らなかった。

親友へのプレゼント

親友と呼べる人間が何人いるか、自分でも自信がありませんけど、きっと彼はそうだと思っています。その彼が今度結婚するのでご祝儀でも弾もうかな〜〜とか思ってたんですけど、お金で渡すよりきっと記憶に残った方がいいだろうってことで、旅行をプレゼントすることにしたのです。普段行かないであろう旅行と、入念に作り込まれた(←自分で言う)旅のしおりと、そして手紙。そしたら彼女共々大げさなくらい喜んでくれて、こっちがそれ以上に嬉しくなってしまった。今までプレゼントとかあまり意識してなかったけど、やはりモノで気持ちを表現すると言うのは有効な方法なんだろう。だから古来からの文化として世界中で根付いている、と言うことか。彼らはきっと幸せに生きて行けると信じています。

思考停止したいから身体を動かすのか

夕方からわざわざ自転車に乗ってここまで来た。多分あまり何も考えたくないからかなと思う。例えば先週末はずっと旅行の計画(家族旅行と、彼の旅行)を立てていたし、今日はずっとドラクエやったり本を読んだり、自転車でウロウロしたりしている。何かに追われるように一人で作業をするのは、そうしたい理由が自分の中にあることは自分でよくわかっている。自分自身が何もしなくて済む、ぼーっと出来る時間を過ごせるようになればそれが健康な証拠になるんだろう。

信じることと覚悟の話

最近のテーマ。人間関係は、と言うか世界の多くは信じることによって成立されている気がする。それは身近な人間関係でも、国家間の関係であってもあまり違いは無いんじゃないか。信じると言うことは覚悟を伴う。自分が信用出来るものは最終的には自分だけのはず(自分自身もどこまで御せるかは怪しいけど、それでも一番マシだと思うので)。それでも何かを信じると言うことはそれが、裏切られるかもしれない可能性を受け入れると言うことだし、それを覚悟すると言うことと同義じゃないだろうか。不安で、気になることがあるのならそれはまだ疑っている、覚悟が足りないということだろう。自分自身の今の気持ちは、きっとそんな感じ。心の底から信じることなんてそう簡単には出来ないのかもしれない。だからいまカフェなんかにいるんだ。

閉店までいたら、帰ろうかな。

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