聞くことは話すことと同じではないか(「聞く力 心をひらく35のヒント」 - 阿川佐和子)

あけましておめでとうございます。帰省する新幹線の中で何か読もうと思って本屋で買いました。去年のベストセラー第一位なだけあってとても面白かったです。

媒介としての聞き手

阿川さんの1000回近いインタビュー経験を通して、「聞く」とはどういうことなのか、またそのための具体的な方法論について書かれています。ただのインタビュー裏話集じゃなく考えるべきポイントがいっぱいありました。色んな「聞き上手」のための方法についてはぜひ本で見てみて下さい。

ここでは「人が話すこと」の意味と、聞き手の役割について考えます。あとがきの文章がとてもよかったので引用。

人の話はそれぞれです。無口であろうと多弁であろうと、語り方が下手でも上手でも、ほんの些細な一言のなかに、聞く者の心に響く言葉が必ず潜んでいるものです。
(中略)
そんな話をする当の本人にとっても、自ら語ることにより、自分自身の心をもう一度見直し、何かを発見するきっかけになったとしたら、それだけで語る意味が生まれてきます。
そのために、聞き手がもし必要とされる媒介だとするならば、私はそんな聞き手を目指したいと思います。
- 本書P.253

聞くと言う行為があるから話すと言う行為があるわけで。話すことに意味があるなら、それと同時に聞くことにも意味が生まれるのでしょう。

なぜ話すのか、また聞くのか

日常会話や仕事上での会話など含めて、話すことには基本的には意味、目的があるはず。疑問、確認、説得、交渉、共有など。本の内容における話す目的と言うのは基本的にはこの中の「共有」に当たると思います。ではなぜ、人は誰かに何かを共有したくなるのだろうか。

考えてみれば、ここまで高度な「言葉」と言うツールを使ってコミュニケーションする(話す)生き物と言うのは、地球上に存在する生命の中でも人間に限られています。だからこそ持っている色んな欲求(認められたいとか、褒められたいとか、なぐさめて欲しいとか)を満たすために、何かを共有してその意図を果たしたいのかもしれない。言葉が無ければ、そもそも人とコミュニケーションを取るすべが無ければ、何かを語りたくなることも無かったはずですし。

聞き手にとっての意味も同じですね。その人のこと、その物事、その現象、その場所、その時間、そのあり方についてただ知りたい。世の中に未知な事物がある限り、知らないことを知りたいと言う気持ちは根源的に存在していて、それ以上説明のしようがありません。(考えたけど他に言いようがなかった…)

話す技術、聞く技術

明確な目的を持ったプレゼンテーションや説得であれば、そのための方法論は明確だし今までに数多の「良い話し方」の本が書かれてきています。でもインタビューのように何かを共有する時のような「これを話さないといけない」と決まっていない場合における話し方、聞き方についてはあまり言及されることは多くなかったんじゃないでしょうか。

聞き手が何もしなくても言わなくても聞きたいことを話してくれる話し手であればよいですが、他人同士のコミュニケーションである以上は基本的にそういうことはありえないので。決まっていないからこそ話す側だけでなく、それを促進するための聞き手の役割がより重要になっていると言う構造です。むしろそういう「目的が決まってない話」をする場合、興味の方向性や道筋を聞き手側がコントロールすることになり、話し手は「話させられている」と言う構造とも言えるかもしれないですね。であれば「聞く力」と言うのは一般的に重要視されている「話し方」と全く変わらないスキルなのかもしれません。

本書で言われている「聞く力」と言うのは、相手の本音を引き出す力だと僕は理解しています。みんながそういう力を身に付けて他人ともっと本音で語り合えるような世界になれば、世界はまた少し平和になりそうですね。そういう「力」がこの本の持っている一番の価値なのだろうなぁと思いました。まる。

聞く力―心をひらく35のヒント ((文春新書))

聞く力―心をひらく35のヒント ((文春新書))