東京でご近所付き合いをするという幸せ

言うても大都会Tokyo cityですし。奈良の田舎から出てきた時なんて「東京こわい…」という思いがぬぐえなくて、今もちょっとドキドキすることがあります。

多分地方出身者にとってみればそれは言葉の壁が大きかったりするんでしょうね。あと関西人的な感覚で言うと割とすぐに誰にでも話しかけたりする感覚自体、あまりこちらでは無いのかもしれません。

店員さんに話しかけるのはナンパではない

なんの弁解だって話ですが…、住んでる近くに限らず割と店員さんに話しかけるのが好きで、たまに友達とかといっしょに行くと「ナンパしてる!」とかほんとに言われるんですよね。んなわけないだろ。。と思うんですが、でもまぁそれが運命の出会いになったりならなかったりするわけですが、決して店員さんが女の子でかわいいから話しかけてるわけじゃないのです。別にコンビニのおじさんでも話しますし、クリーニング屋のおばあちゃんも仲良しですから。

極端な話、お店に行くのって買い物と言うか半分「知ってる人がお店やってる」から行くようなとこあるじゃないですか。だから同じ機能を持ったお店なら、知ってる人のところに行く方が心地いいからそうしてます。

ぶっちゃけ欲しい商品/サービスを手に入れるという機能としてだけ見れば自動販売機や通販で全部事足りるはずなんです。でもそうしないのは、その機能以外の何かを求めてるのですよね。最寄駅のスタバとかもう店員さん大体顔見知りだし、店長さんとか行くたびに構ってくれるから居心地良くてしょうがないんですよね。だからタリーズじゃなくてプロントじゃなくてスタバに行くと。(単純にコーヒーが一番おいしいと思いますが)

四年間の積み重ね

例えばスタバも、コンビニも、クリーニング屋さんも、美容院も、ラーメン屋さんも、おにぎり屋さんも、リサイクルショップのおじさんも、あとは下の階に住んでる大家さんも…四年間住んでたらみんな顔知ってるし「今日も暑いですね〜」とちょっとした会話くらいはするようになります。それってザイアンスの法則、単純接触効果とか言うまでもなくそういうものです。

近所のクリーニング屋のおばあちゃんなんて「あたしがあんたの奈良のお母さんの代わりに縫ったげるから!タダでいいよタダで!」と言ってなぜか無料でズボンのほつれたところ直してくれたりしますし(有料サービスって書いてあるのに…)、コンビニの店長は「凍頂烏龍茶、モデルチェンジしたよ〜」ってわざわざ教えてくれるし、美容院のお兄ちゃんは「おざっす!」(※おはようございます)って毎朝挨拶してくれるし…。なんか地元に生きてるなーという感じがして最近幸せなのです。

「知ってる人」と言うのは多分それだけで安心できるのかもしれないし、そうやってご近所コミュニティは形成されていくのでしょう。最近読んだ岡田斗司夫内田樹の本に「身体ベースの人間関係」と言う言葉が出てくるのですが、それはこういうところから始まる気がします。関東に出てきて早いものでもう7年経ちました。同じところに4年も住んだのは初めてだから、いまのこの第二の地元みたいな感覚は生まれて初めて感じるものです。

東京だから人が冷たい、田舎だから人が温かいなんて話はきっと存在しなかったのです。あるのはただその関わりを深くしていこうとする自覚と意識の問題なのでしょう。どこにいても友達がいるような生き方が出来れば、きっといつも寂しくなんかないのでしょうね。まる。