たまには昔の思い出話を。僕が高専に入学したのは確か1999年のことで、インターネットバブル全盛の時でした。「IT革命」と言う言葉がテレビでも聞かれるようになって、情報工学科に入学した僕にとっては未来が妙に明るく感じたものです。「お、時代がこっちにきとるな」って感じで。学校にはWindows98でPentiumIIの最新型マシンがずらっと並び、みんなで競うようにホームページを作ったりチャットをしたり、家ではみんなテレホーダイでネットゲームに片っ端からハマったり、、と言うようなオタク高専生活が、当時入学するなり始まったわけです。
僕自身、プログラミングにハマったのは高専1年目の時で、色んなプログラムを書いてみたくてしょうがなくて、でも専門書とか高くて買えないから猫でもわかるプログラミングのコードを片っ端から試したり、帰りに本屋に寄ってコードをメモって家で試す、、と言うようなことを1ヶ月くらい"没頭して"繰り返したら、簡単なゲームとか作れるようになったんですよね。実際に初めて自分でゼロからコードを書いてちゃんと動いた時、ほんと感動したことを今でも覚えてます。
そんな高専時代、ホリエモンはネット世界のヒーローで、テレビを見ると姿を見ない日は無かった気がします。よく分からない間に「時代の寵児」と言われるようになり、球団買収、テレビ局買収、選挙立候補などずっと世間の注目を集め続けていたホリエモン。一般人の自分にとってはただただ「すごいなぁ」と言う感じでしたが、それでも彼がいるおかげで自分や、あるいは自分たちがいる世界はとても明るく、未来があるように思えたことは事実です。それはこの世界の未来を切り開いて行く、まさにヒーローのような。
そしてある日ライブドア事件が起き、そのヒーローだったホリエモンは魔王の手によって封印されてしまったのでした。
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あれだけ不器用(?)で敵も作り易いような物言いなのに(むしろ、だから?)、世間は常に注目を続け、逮捕後や収監後でも勇者はずっと目立った存在でした。それはひとえにホリエモン氏が圧倒的な、他に無い何かの魅力を持っているからに違いなくて。批判も賞賛も全部含めて、みんな何かをホリエモンと言う存在に、今も昔も「期待」しているのだと思います。
本に出て来る「なぜ、ネクタイを締めなかったの?」と言う田原総一郎氏の質問。比喩も含めてものすごく美しく感じます。この文脈の場合は上の世代に合わせて好かれる努力をしなかったのか、と言うような意味ですが。ホリエモン本人も「好かれる努力をしてこなかった」と書いているように、それは一つの意思だったのだと。
この本では「あのホリエモンが!」と言うようなエピソードや、今までの著作には決して出て来なかったような思いのようなものがたくさん出て来ます。ここ10年くらいのホリエモンの活躍の裏側、今までの行動や発言、書かれた文章などとリンクして、ようやくその真意が理解出来るような、そんな感じ。
少なくとも自分のような人間にとって、ホリエモンはやはりどこか憧れるところがあって。あれだけの強い意志やビジョンを持って、未来に希望を持って、下の世代に大きな「夢」を見せてくれるような存在、あれだけ夢と希望にあふれた生き方をして「はたらく」ことにここまで前向きでいる人なんて、そうそういませんから。
一番衝撃的だったのは「自分を分かってもらうこと」の努力をしなかったと本人が言っていることと、何よりそれを「反省」しているというところです。取り分け「旧い何か」に反発するような下の世代だけではなく、例えば今まで好意をあまり持たれていなかった世代や層の人に対して本人が「本気で」好かれる努力をしたとしたならば。それは今までの限定的なヒーローではなく、これからの日本のみんなのヒーローになって、誰からも憧れられるような存在になるんじゃないのかなと思います。そういうのってほんと、かっこいいなぁ。
少なくともみんなの「はたらく」ことに対する考え方くらいはホリエモンに近付いて、みんなが夢と希望を持って前向きに「はたらく」ことが出来るようになれたとしたなら。社会は絶対に今より幸せな場所になる気がします。
でも、そんな態度じゃダメなのだ。世の中の空気を変えていくには、より多くの人たちに呼びかけ、理解を求めていく必要がある。これからの僕は、この国のネガティブな「空気」を変えるため、いままで以上にガンガン働くし、情報発信にも努めていく。シンプルに考え、決断の痛みも正面から引き受けていく。そしてみんなに呼びかけたい。 - P.191
- 作者: 堀江貴文
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
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