海外と英語とディズニーランドと食わず嫌いからの、先達はあらまほしきことなり

前回神楽坂に来て日記を書いたのが一月半前です。久しぶりにまた自転車に乗って神楽坂まで来ました。写真中央はいつも出先で頑張るイーモバイルさんですが、いつも頑張ってくれてるもののやっぱり遅いのでそろそろ買い替えたい…。右側は上島珈琲の季節限定「ほうじ茶ミルク珈琲」。もはや何でもありか。(味は悪くないが、珈琲ではない気がする)

ところで、そもそも自分自身が「全く新しいものに、なんでもいいから挑戦したい!」と言うエネルギーを超持ってる人でもなければ、過去の自分が好きだったものの延長戦にしか自分の嗜好は寄って行かないと思うんです。最近、自分から「やりたい!」と思ってやったことではないにせよ、結果的に楽しいことだったり自分のためになったりするようなことがよくあります。ひとえに周りの人や環境のおかげなんだけど、そういう影響をいっぱい受けられるような多様性がずっとあるような生き方が出来ればすごく楽しいだろうなぁ。

海外出張に思うこと

ありがたいことに海外出張に行く機会が結構ありまして。この会社に入る前はとてもドメスティックな仕事だと思っていたし、そもそも自分自身は全く海外に興味はなかった。と言うか海の向こうとか怖いし飛行機乗るの大変だし日本のご飯も食べられないしやだ!!みたいな。

でもいまそういう仕事を始めてみて思うのは、海外に行くのも英語を使うのもほんとにただのツールだし、別に特別なことでも何でも無いと言うこと。企業提携でも、情報の獲得、新たな市場の開拓でも、何でも良いんですけど。ビジネスのための一つの手段として取るものが、たまたま海外の企業だったり、英語を使わないとコミュニケーションを取れない人たちだったりするだけの話で。商習慣や文化の違いはあれど、結局内容に関しては資本主義に基づいてお互いハッピーになれるように頑張りましょうねと言うそれだけの話なので、別に得体が知れないわけではないよなぁ、、と。

その辺の気持ちに付いては、この辺りの記事もぜひご覧下さいまし。

結局海外も「食わず嫌い」なだけだったんじゃないかと思うんです。

英語に思うこと

きっかけは海外出張だったりそういうやり取りが増えてきたから。ほんとやだなーと思ったし、出来るならこの仕事そんなにやりたくない…と言うか日本語だけでなんとかなんないのかなと本気でちょっと思っていた。

でも話せばちゃんと伝わるってことが分かってくれば、どんどん話したくなるし、話すこともそんなに恥ずかしくはなくなってきた(←これが大事)。どうせ先方からするとアジア人の英語だし対して期待もしてないと思う。きっと日本の教育でよくないのは、なんか話す時に「恥ずかしい」と言う意識が働き過ぎるからな気がする。他の学校は知らないけど、僕の田舎の中学や高校ではそんな雰囲気でした。もっと堂々と喋ればいいのにね。それで楽しくなって毎日みんな英語とかで話せるようになれば、日本の「グローバリゼーション」はもっと進むんじゃないかと本気で思います。と言うか中学高校大学で10年近くも勉強してるのにろくに話せない(と言うか話す気が持てていない)と言う日本の英語教育は今考えると異常ですよね。無駄とは言わないけど、効率が悪過ぎる。

例えばね、下の記事のようなことなんて今まで出来なかったと思うんです。英語で文章書いて人目に晒すとか恥ずかしくてしんじゃう>< と思ってたけど、でも何も書かないより書いた方がうまくなるし、むしろツッコミとかもらって「ここはこの表現の方がいいよ」「僕はズゴックよりゾックの方がかっこいいと思うよ」とかそういう方が自分のためになるもの。

子どもに英語教える時は、ちゃんと好きになれるように色んなことを教えたい。多分楽しいことだったら自分から進んでやるし、そうじゃなきゃ勉強なんてきっと出来ないもん。「英語であそぼ」でも「セサミストリート」でもいいんだけどね。まず「好きなこと英語で話す」と言うことから家族で一緒にやりたいな。僕自身、勉強が好きな子でしたけど「まんが日本の歴史」とか「ことわざ辞典」とかそういうのを好きで繰り返し読んでたからって言うのは絶対にあるなと思います。

結局英語も「食わず嫌い」なだけだったんじゃないかと思うんです。

ディズニーランドに思うこと

先週ディズニーランド行ったんですよ。5年ぶりくらいかなぁ。そもそもディズニーのアニメとか見たこと無いし、ガンダムとかエヴァンゲリオン見てる方が楽しいだろ、、とか思ってたしそもそも遊園地だしどうせ子どもだましでしょとか思っていた。そして朝8時に行ったら入り口が長蛇の列でほんと萎えるわーー、とか思ってました。

でもね、入ってみたら超楽しかったんですよね。。大人になって来て思ったのが「ディテールまでこだわって世界観ごとこの規模で実現されている」と言うのは、ほんとすごいことだと。「遊園地」などではなくて、もはや「世界」を現実世界に作り出している。別に乗り物に乗るのが大事なんじゃなくて、ディズニーアニメの中の世界がそこかしこに表現されていて、アトラクション自体はもちろんのこと、植えてある木々や噴水、ゴミ箱や電灯に至るまでこだわってつくられている。何にも乗らなくても、パーク中をうろうろ歩き回るだけでも十分に価値はある世界だなと思ったのです。これで6300円とかほんと安い。夢の世界が6300円て…(しかも割引があったので5300円でした。ありがとう)

ああ、そうそう。ミッキーマウスが一緒に写真撮ってくれる「ミートミッキー」と言うアトラクションがあって「180分待ち」とかさすがに無いだろ、、と思いながらも友達が並んでくれていてみんなで入ったんですけど、実はこれが一番感動した。この世界を歩き回った最後にあのミッキーマウスと一緒に写真が撮れてハグ出来るとかマジ幸せ過ぎだわ…。と、気付いたらずいぶん好きになってしまっていた。おそろしい。

結局ディズニーランドも「食わず嫌い」なだけだったんじゃないかと思うんです。

食わず嫌いについて思うこと

他にもね、色々あります。でも「食わず嫌い」とか、いやもっと言うと「そんなに好きじゃない」と言う物は全て好きになれる可能性があるのかもしれない。だってそれを好きな人は世の中にいっぱいいるわけですし、おすし。特に必然性(受動的な意味での)があったり、周りの親しい人達からの影響で受けて変わっていくものはとても多い気がする。

出来ることなら、僕は世の中のもの全てを好きになって理解して、何も嫌わず、何も憎まずに生きていけると幸せだろうなと思っているんですけど。そういう意味では自分がそれほど興味を持てなかったり、好きでもないものを「好き!」と言ってる人こそが自分の幸せのためには大切なんじゃないかなと思う。好きなことを共有出来る相手と、嫌いなことを克服させてくれる相手。大げさに言うとその2つに「友達」は分かれるのかもなぁ。


好きこそものの上手なれ、と言う言葉が好き。だからこそ、好きじゃないものについてこそ「先達はあらまほしきことなり」と思うのでありました。まる。

少しのことにも、先達はあらまほしき事なり (どんな簡単なことでもさ、指導者って言うかそれに詳しい人がいた方がいいよね。ゼッタイ。その方が人生楽しいわ。 ※まんとる訳)
- 徒然草 第52弾 "仁和寺にある法師"より