一日中ゲームをやりまくった結果、僕はニートにはなれないと思った

夏休みの反省文と言うか気付いたこと。お盆だし。休みだし。最近パーッと遊んでないなー、仕事辞めたりして開放されたら一日中ずっとゲームして遊べて幸せになれるんじゃないか、とか急に思いまして、お盆に一日、本当にAM9:00からAM2:00までPSPで13時間ぶっ通しで久しぶりにゲームをしました。その結果思ったこと。

1日に13時間ゲームするとはどういうことか

今日はタクティクスオウガ運命の輪の、ロウルートをクリアするんや!ゲームの内容はまぁ、別記するとして。実家に帰るのにPSPもってかえろーと思って棚を見てたらタクティクスオウガを発見したので、前からやりたくてやってなかったルートでクリアすることにしました。超好きなんですこのゲーム。

昼も夜も食べず。家から出ず。冷蔵庫にペットボトルの2リットルのお茶があったのでそれだけ頂きました。翌日に体重計に乗ったら2キロ減ってました(本当に何も食べてないと減るものですね)。おかげで相当攻略ははかどりました。13時間ですから。1章から4章まで進みました。

募る罪悪感

ゲームと言うのは、基本的には単純作業で、そして苦痛ではないものだと思います。それなりに爽快感があって、なんか楽しくて。ゲーマーを自認する僕ですが、ゲームは基本的には非生産的だと言うことは自分が一番よくわかっています。

これは以前書いた社畜の話と実は似ている気がします。(仕事は何かしら世の中の役に立っているので、そういう意味でとても生産的だと言えると思います。)

それなりに、いやかなり好きなことだから。目の前にたくさんあるから。ハードルが低いから。ついつい続けてしまえるから。理由はそんなものな気がします。それはソーシャルゲームでもパチンコでも別に変わりません。もっと言うと大体の趣味に当てはまるようなことだと思います。

でも、趣味と言うのは基本的には非生産的なことが多くて。自分の場合の罪悪感は「こればっかり続けてたら、多分何も残らないし、続けられないし、多分しぬ。」と言う自責の念の形で襲って来ます。趣味でお金が稼げるならまだしも、ゲームばっかりやってたところでお金は入って来ませんから。

好きなことしかできないけれど、好きなことだけでは生きていけないことが多い気がした

人間は好きなことしか出来ない生き物だと思います。でも好きなことだけ、ゲームだけして、インターネットだけして、アニメだけ見て、そういうステレオタイプニートと言うか引きこもりにはどうしても先が無いから、別のことをしないと継続して生きていけません。何かしらお金を稼げるように。地球はそういう場所ですから。


罪悪感を覚えるのは、このままじゃヤバイと本能的に思えるからかもしれない。罪悪感と言うかそれはもはや恐怖です。「あ、このままじゃ生きていけない」と。家にずっといて非生産的なことをするのは恐怖だから、これはマズローの欲求5段階で言うとかなり低いところのレベルでの欲求として、嫌なんだと思います。

「つらいことがあるから楽しいことがあるんだ」「週末を楽しむために平日の仕事はつらいのだ」みたいな言い方をされるのは、やっぱり受け入れがたいのですが。それでも一つの真理だなと思えるのは、辛かろうが苦しかろうが、生きるための努力(どこから自分が生きてくためのお金が入って来るか)について考えることと努力を捨てた時点でどうしようも無くなるし、それは本能的に回避されてしかるべきだと言うことです。

「自分、今日から狩りも採集もしません!誰も欲しがらないと思うけど、海岸で貝殻拾って集めることしかしません!」とか言うと、そりゃもう古代でも現代でも生きてはいけないよなと思います。

結局はバランス、なんでしょうね。なにか一つだけではなくて、本当に好きな非生産的なことも、お金を稼ぐことも全部満たしてこそ幸せに生きていくことが出来る。そう考えれば今の社会の在り方と言うのはそうおかしいものでもない気がしたのでした。だから「ゲームは1日1時間」と言うのは至言なのだと思います。まる。

タクティクスオウガ 運命の輪(特典なし) - PSP

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