よもやまdays2

お世話になってる大先輩、社長。飯田橋でお昼ご飯にお蕎麦をごちそうになってしまって、気付けば3時間も頂いてしまった。ありがたいことです。

会社の大先輩であり、今の自分の会社の取引先でもあり。海外に赴任されてる時には現地に遊びに行ったり、なんだかんだで奥さんも兄も会ったことがある、一方的に僕がメンターだと思っているような人。来週、うちの本社の社長とも会う予定があるらしく、先にお会いできたのはちょっとしてやったり感があります。

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単純に楽しかったというのもありますが。いくつか印象的だった話を書いておきます。

 

海外行くなら若いうちに行った方がいいよ。

若いって言ってももういい年ですが。。(20歳くらい歳が離れてるから、そこから見ると確かに自分はピヨピヨかもしれない。) やっぱり大企業に所属しながら行くのが今の自分にとってはベストなんだろうな、、と思う。色んな行き方があるけど現実的に個人で行くのはキツい。家族の問題もあるし、まずは生活の基盤をちゃんと作らないといけないことも考えるとそれが一番いいのでは、とのこと。ちょっとリアリティが出てきた気がする。

 

当たるものは、怪しいものだ。

この後の話にも繋がるけど、みんなが賛成するものはどうせ成功しない。最終的にうまくいくものはちゃんと誰かが反対しているものだろう、という。自分の仕事でもそれはその通りな実感がある(ある程度の成功といえるまで5-6年はかかった) 主体者としては「それでも信じてやり続けた先に見えるものがある」と言うことなんだけど、客観的に見れば批判もされて怪しいものだからこそ取り組む人も少なく、ニッチだけどトップになれる可能性を持っていると言う確率論的なことなのかもしれない。

 

誰かに期待し過ぎない。そのままでいい。誰かのおかげ。

「俺も40代前半まではそうだった」という前置き付きで。何かを熱く思い、変えていくことだけが正しいわけじゃ無いと悟ったんだよね、という。色んなことを思いながら生きていく人がいる。みんながみんな世界の平和を望んで高い志を持たないといけないわけではなく、目の前30cmが良ければいいという人たちもいるしそれでいいのでは。そして現実的にそう言う人に支えられて色んな組織や会社回っていると言う事実も考えると、あんまり怒ってもしょうがないし怒らなくてもいいやって思うようになったよね、、むしろ彼らのおかげで今があるという話。正直まだピンと来ないしこれについては反発する気持ちの方が大きいのも事実。「丸くなっちゃいましたね」、、とか失礼なことは言わなかったけど、でも本気で仰ってるので、一つの真実として受け止めたいと思った。

 

最後は任せるしか無いし、自分で選ばない方がいい。

自分の今の一番の悩み「リーダーの辞め時を考える」の話。自分がずっと責任を持ち続けるわけでもないのに、自分が最後に何かを選ぶのがそもそも違うんじゃないの?と。これは、確かになぁーーと思ったのでした。多分、自分がまだ何か出来ると思ってるし自分の勘違いでなければある程度は後のことを選ぶ権利が留保されてそうだから。だから選べるものは選びたいし、残せるものは残したいとも思っていた。でもそうではないのかもしれない。残るものは「既に残っている」し、ああしろこうしろということや、物や、戦略とかではなくて。残された人の中にある考え方だとか判断軸、経験のようなものこそが後に残るもの。最後はその仕事がちゃんと役に立つものなのであれば組織も人もちゃんと残っていくはず…だからやるべきことをやったら、その結果自体を受け入れて、後のことを何か判断することはしない方がいいのでは、と言う話。後のことは、後のことに責任を持つ人たち自身が責任を持てばいい、のはきっとそうなんだろうなと思って腑に落ちた。自分に出来るのはその人たちに何をしろと言うことではなく、彼ら自身が良いことを出来るように能力を高めて機会を与えていくと言うこと。それだけがやるべきことなのかもしれないと思ったのでありました。まる。