よもやま、という言葉自体独特な言葉なのでしょうが。最近コロナもだいぶ落ち着いてきたので時間を見つけて色んな人に会いに行ったり、最近会えていなかった人に会うようにしています。気付いたことを書いておきたい。会った順です。
人事部の偉い人。
いくつか報告することがあったのでそれを報告するついでに。別に何かを宣言しに行ったわけではないんだけど、結局「どうしたいの」と言われる。そうだよなぁ、と思いつつ率直に思ってることを言ったけど「昔と今とでは、会社のフェーズも違うよね」という話に。そうなんです。もう十数年経つけど自分も組織も大きく成長した。自分が育てたものと同様に彼らもまた大きくなっており、昔は出来たことも今は出来なくなったり必要なくなったりする。逆に今だからこそやるべきことがある。それを自分は、今ここでやりたいと思うのか…?それに尽きる気がした。
前の社長。
組織の大きさで価値が決まるわけでは無いけど、自分以上に大きな組織の上にいてなんか大変そうというか自分だったらそこで何が出来るのだろう、、という気がした。100人の世界はとはいえ、目が届く。でも1000人の世界はどうなんだろう?「自分のこれまでの何を活かしたいのか?」確かにその視点はある。なんでも、ある程度のことは出来ると思う。その中で自分が培って来た何を活かして、どう生きたいんだろうか。問いは同じだと思った。
初代社長。
気付けば、遠くまで来た。一緒に事業を始めた時は見えなかったものが今は見えているし彼に出来なかったことを自分はできたとも思う。そして色んなものを教わったし、それを軸に自分でも学んだと思う。彼の事業を何とか成り立たようとしていたものが、今は自分の事業だと言えるようになった。今でも社長は自由だし、変わらないなぁと思う。変わらないまま生きていく、それは一つの生き方を見つけているということだろうし一つの極地なのだろう。変わらず生きていく、ある意味で勇気が必要だと思うけど一つの在り方なのだろう。
兄と弟と母。
何年振りか、そしてあと何度会えるのか…。やはり年齢を感じずにはいられない。時の流れをいつも早く感じる。生まれたばかりだと思っていた子ども達も気付けば小学生だし。昔から好きなものは好きだし、昔からあるコーヒーマシンはそのままだし、家が変わろうが子どもが増えようが、結局ここにあるのは25年前からある4人の家族の時間なのである。別に変わることを求めてもいないし何か発見したいわけでもない。「変わらんな」ということに安心してそうであって欲しいと思う数少ない時間なのであろう。
昔の友達。
数年前に実家の静岡に帰ったはずだけど、また東京で仕事をするらしい。自分の作った縁の延長にそれがあることを聞き、単純に良かったなと思う。自分の仕事との関連もあるし色んなところでつながるものだなと思う。しばらく忘れていたけど、こうやって種を蒔いて、偶然に期待して(もしくは期待せずに)生きていくのもまた一つの人生の形なのでしょうな。それはそれで楽しい気がするし、人間関係を作っていくということは必然的にそういうことな気がします。原神めっちゃ勧められた…。
会社の偉い人。
そんなによく知ってる人では無いんだけど、前の社長が何か話してくれたらしい。端的に言うと自分への仕事のオファーだった。ありがたいことです。自分に持てている一つのユニークネスがどこかで活きるのであれば、それはとても嬉しいこと。やりたいことをやらせてもらって来た実感があるから、期待されているならちゃんと応えておきたい、という思いはとてもある。そしてそれは自分のこれからのためにもきっとなる、ような気がする。
親友の一人。
気付けばお互いの子どもも直接会わないまま長い時間が経ってしまった。でも不思議と時間の経過は感じない。考え方も生き方も、そして趣味もよく似ていて。色んな意味で「よくわかる」と思う。仕事も家庭も色んな出来事がありそうで大変そうだったけど、きっとそれも含めて楽しく乗り越えていくのだろう、と思う。二人でコワーキングスペースで並んでお互いの会社の仕事をしていると、二人でゲーセンで並んで無言で何時間もゲームしてたあの頃を思い出して何かおかしい。いい意味でお互いが変わらないことを確認できたから、きっとまた色んなところでオーバーラップしていくのだろうと思う。LoLを早速インストールした。
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TBD
ご近所さんたち。
よその会社の偉い人。
お世話になってる大先輩、社長。