これが最後の仕事になるように

気付けば、先月までと逆方向の仕事をしている。いかに辞めるかの話ではなく、いかに続けるか、続けていくのかという話。

 

やってきた仕事も、身に付けてきたスキルも、培ってきた人脈も、世の中に示すことが出来た価値も、そして目の前にある偶然も、全部使って本気で戦っている感覚に久しぶりになっている。しばらくちゃんと「仕事」してなかったなと思ってたけど、今はしてる実感がある。

 

まだ、今なら退けるし止められる、って少しは思う。もしかすると失敗するかもしれない、誰かを不幸にするかもしれない・・・ということも。でも、どうやっても死ぬわけではないし。きっと自分を含めたみんな幸せに出来る方法はこれだと自分は信じているし。失うものはそんなに無いと思えば思い切ってやれるし、結果的にこれまでそうやってしてきた事は何も間違ってはいなかったはず。

 

なぜなら。これまで自分がやって来たことが正しかったと思うために、というかそれを証明するために過去を肯定するために我々は仕事をするからである。諦めなければ負けないし、自分自身を肯定出来るのは自分自身しかいないし、それを出来ない理由は無い。ゆえに、やらない理由は何も無い。というかんじ。

 

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今週、久しぶりに英語で10時間くらいぶっ続けて考えて、話した気がする。自分でも成長したなーって思うし12年前に比べたらこれ自体ちょっと嬉しい気持ちにもなるんだけど、それ以上に嬉しいのは自分がやって来たことをすぐそばにいる誰かではなくて、地球の裏側にいる全然違う誰かが認めてくれているからかもしれない。もちろん、そこには打算も思惑も、俺に言えないこともあるのかもしれない。でも少なくとも自分がやって来たことを最大限に評価してくれてそれを世の中の礎とする方法があるのなら、それがどんな方法であれ正しいことではないか、と思う。

 

傲慢な言い方なのはわかっている。それでも自分は一定賢いと思うし、間違ったことはしてこなかったという自負がある。その前提で、やはり過去を肯定し未来につなげることが一番大切だしやりたいこと。それが生きるということだと、少し大袈裟だけど思うのである。だって後悔なんかしたくないし。どんな結果になったとしても絶対それが正しい。自分を信じて、過去の選択を全て「正しかったことにする」、それが自分望む生き方なのだとようやく少し言語化出来るようになった。

 

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どっかに同じようなこと書いてそうだな、って思ったらやっぱり書いてあった。この時からの変化で言うと、「過去の全てを受け入れる」って、この時は能動的に「受け入れよう」って思っていたのかも。でも今の気持ちは「当然受け入れている」という感じ。むしろそれは前提というか。これは自分の成長なのかもしれない。

 

だからこれからも後悔しないように、自分が思い描けた一番良いものを目指してがんばっていこうと思うのでありました。まる。

 

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