果ての見えない階段を一生上り続けることが出来るのか?

ウメハラこと梅原大吾の「勝ち続ける意思力」を読みました。普通の人はウメハラって誰?と言う感じだと思いますが、日本で一番(世界でも?)有名な「プロゲーマー」です。

本はタイトルの通り、意思の力の話。「仕事術」とか「人生の攻略本だ!」とかサブタイトルや帯に書かれていますがそんな他人が参考に出来る「攻略法」などではなく、ウメハラ自身の「覚悟」と「哲学」の物語です。

一生努力を続けると言うこと

ゲームはあくまでゲーム、エンターテイメント(しかも世の中の「普通」からは結構離れたところにあるもの)としてしか存在していなかった時代に、それでも人生を賭けてゲームをやり続けると言うのは、端から見れば異様としか言いようがないだろう。それでもやり続けられたのはウメハラ自身の「意思力」に他ならない。

別にこの本は誰かに意思を持てとか頑張れとか、そういう意図で書かれたものではないと思う。あくまでウメハラ個人の体験と、心境の変化を時系列で追っていったものなので、他人が参考に出来るところはほぼ無いように思う。そういう意味で「仕事術」でも「攻略本」でもないと思うのだ。(ゲームに引っ掛けて「攻略本だ!」とか煽りたい気持ちはよくわかる。)

その上で、ウメハラ自身が世界一になってプロゲーマーになるまでの努力を続けられたのは一体なんなんだろうか。一般人とウメハラの違いはどこにあるのだろう。それは以下の一つのことに尽きると思う。

 果ての見えない階段を一生上り続けることが出来るのか?

これは別にゲーマーに限った話ではないはずだ。色んな分野で頂点を極める人、極められる人とそうでない人の違いはここに集約されるんじゃないだろうか。ぶっちゃけ僕なんかはこんな記事を書くような人間ですから、到底上り続けることなんて出来ない。階段の比喩を使うのなら、最終ゴールの8割(6割かも?)くらいまで上って「あーここからは上りづらそうだから階段上るのはこの辺にして他のことしよう」と言う感じで生きると思う。

意思の力

僕の近くのいる人で、ずっと黙々と勉強を続けて最近弁護士になった人がいるのですが、本を読みながらそれを思い出した。

司法試験は年に1回しかなくて、新司法試験になってからはロースクールを出ないと受けられないしそれも3回しかチャンスがない。それなりに難しい大学の法学部に入って、ロースクールに入って勉強して、学部と大学院合わせて約7年。試験に落ちたとしたら更に3年。10年かけた結果、もし受からなかったら大体30歳、それからどうやって生きていくのか…考えてみればかなり割の悪いギャンブルにも見えてしまう。

それでも彼が受かったのはウメハラと同じ、意思の力に他ならないんじゃないだろうか。合格することを信じて、一日を出来るだけ同じサイクルで過ごし、誘惑に負けず時間を決めて勉強をし、363日(←本を読めばわかります。)努力し続けること。彼に限らず本当に報われている世の中の人は例外なく努力をしているのだと思う。

先の見えない階段を楽しみながら上る幸せ

この参考にならない攻略本から攻略法を見つけるとしたら。

ウメハラの生きる目的は「成長し続けること」だと書かれている。成長すること、変化し続けること、努力して出来るようになること、どれも同じ。大会で優勝することや誰かに勝つという「目標」ではなく、成長すること自体を「目的」として捉えることで、自分自身が楽しく幸せだと思える形で努力し続けること。それは「自覚的に諦めて幸せになること」とはまた違った「努力して努力して幸せになること」の形なのだろう。

いや、本質的には同じなのかもしれないな。だったら自分は徹底的に「自覚的に諦めて幸せになること」を追求していきたい。それが自分にとっての一番幸せな努力の形だと今は思う。


僕にとって生きることとは、チャレンジし続けること、成長し続けることだ。成長を諦めて惰性で過ごす姿は、生きているとはいえ生き生きしているとは言えない。 - P.246 著者

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)