夏の終わりの桃と花火と鈴虫と

写真は、週末の遅いお昼ごはん。作ってもらうご飯ほどおいしいものはないです。


気付けばまた秋。もう1年かと、9月になって思う。僕の中での節目は1月でも4月でもなく9月だったりする。


もう夏も終わりで、自転車で走っていると風がもう結構涼しくて、今日はもうクーラーいらないかなーとか思いながら帰る帰り道。

でももう9月なのにまだ桃が売っていて、今年はもう桃食べまくったのに結局また桃を買って、晩ご飯代わりに2つむいて食べようかと思いながら家に向かう。

そしたら家の近くの公園で家族が花火をやっていて、今年はあんまり花火大会とか行けなかったから来年はまた長野とか行きたいなと思っていると、家の横ではもう鈴虫が鳴いていた。


取り立てて大きな出来事や感動的なことがなくても、毎日新しい出会いがなくても、日々ちょっとした季節の変化を感じられていればそれだけで幸せなんじゃないか。

自分自身と仕事に少しだけ誇りを持って身の回りのごく近しい人々の幸せを願いながら生きて、そして残りの時間を自分が好きなことで埋めていくことが出来れば。それだけで十分幸せだし何も望むべくは無いのかも知れない。

学生の頃に10も20も年上の大人を見て「なんか退屈そう」と感じたのは、自分がその一見退屈に見える環境の中にある幸せを想像できなかったからなのだろう。今は世の中の大多数の人たちが送っているのであろう「人並みの生活」こそが、一番幸せなんじゃないかとさえ思える。


「ただ、ここにいるだけのしあわせ。」

それを実感しながら生きていけるような場所を作ること。自分たちが目指すのは、それだけでいいのかも知れない。


「変わっていく季節、変わらない毎日。」「いつでも今日が、いちばん楽しい日。」 - よつばと!の帯より

twitterRSS

RSSリーダーに登録

Add to GoogleSubscribe with livedoor ReaderMy Yahoo!に追加Subscribe with Bloglines