忘れないうちに。成長すると言うことは色んな習慣を積み重ねて続けていくことなんでしょうね。一過性のものであればそれはただの過去になるんだけど、習慣化したものはまさに未来になっていく。そういう意味では過去に無駄なものなんて一つもありはしないのです、と言うよくある話。
布団も洗濯物もたたむ
一日の始まりなので。朝起きて出かける前にはやっぱり布団をちゃんとたたんで、スリッパも揃えて出てくべきなのです。帰ってきたらその方が気持ちいいから。大げさなんですがこういうのって、未来の自分を励ましたり、勇気付けるってことだと思うんですよね。未来の自分が少しでも気分が良くなるように今の自分が少しでも出来ることをやると言うのが、自分を自分でコントロールする一つ目のステップだと思います。
身だしなみを整える
見た目とかどうでも良いと昔はずっと思ってたし今も割とそうです。それでも昔に比べれば多少は考えるようになったと自分では思うのです。他人のためには、他人にどう思って欲しいかを基準に考えればいいし、自分のためには、自分がどうありたいかを基準に考えればよくて。ただ「人の目を意識する」のであればそれは両方とも同じようなものです。
この「人の目を意識する」と言うのがあまり意味が無いし興味が持てなかったんだけど、それでも人が見た目に左右されることはよくあるし自分もそれはあるはずなんですよね。だから「人間、見た目じゃなくて中身で勝負や!」とか言うのはぶっちゃけ怠慢だと今は思うんです。自分で気を付ければちゃんとやれることなのにそれをやらないのはいかにももったいないし、なんか怠けてるよなぁ、と。他人のためにこそもっと頑張れよと。
健康に気を付ける
健康に意識が向かないのはもしかすると守るべきものが無いからなのかもしれない。自分も家族も、大切なものじゃないですか。早死にして大事な家族を悲しませるようなこと(=自分の健康を大事にしないこと)って、本質的には他人を大切にして無いってことになると思うんですよね。だから「自分ひとりの身体じゃない」って思えるかどうかが家族かどうかの境目なのかもなぁ。
和の心
伝統文化として長く続いているものってやはり意味があって。お茶でもお花でも、お寺でも何でもいいんですが、そこには長い歴史を経た様式だったり作法だったりが積み重なっています。数百年、一千年と続いているものはちゃんと意味がある。そういうのって昔から続くある種の「フレームワーク」なんだと思う。一つ一つの様式に込められたものを通して理解出来る本質的な何かがきっとあるから、それを知っている人は、良い人なのだと。
「体裁」の意味
体裁を整える、体裁が悪い、体裁を気にする、色んな使い方があるけどどれもあまり好きではないです。好きじゃないけど、人はそれに縛られながら生きていると思う。だって人間は他人の存在なしには生きていけないですから。ウサギと同じです。どう繕ったところで人に何かを語ったり人目に触れる以上、体裁は厳然たる事実として存在します。そこにどこまで無自覚にいられるのかと言う話で。
承認欲求とどう付き合うかって話なのか。世界に自分だけ、いや自分達だけしかいなかったとしても生きていけると思うのは傲慢だったのかもしれない。
と言うことをわざわざブログに書いたりしているのが、誰かに直接語りたいわけではないけど誰かに知って欲しい(誰かが知ってくれていると思いたい)と言う承認欲求なんだろうなと改めて思います。人間と言うのは他人の存在によりある程度はコントロールされるものなのだと、それに自覚的であった方が少しうまくいくのだろうと、そういうお話でした。まる。
人は悲しいぐらい 忘れてゆく生き物 愛される喜びも 寂しい過去も
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