槇原敬之の「どんなときも。」を聞きながら

シリーズ最終話。

                  • -

「LineとかFacebookってやっぱ怖いなーって思うよ。」
「なんで?」
「昔の彼女から間違って友達リクエスト来たり、下の名前見覚えあるなーって見たら名字変わってるのを見付けちゃったりして。」

「ふーん。と言うかさ、なんで今更最終話なの?」
「いや、今週でもう30才になるし、最後の○○が来たから。」
「そっか。それで最後は予定通り どんなときも。 ってわけね。」

                  • -

あれから2, 3ヶ月、いや4ヶ月経ってもう色んなことを忘れかけていた。それでも桜の季節になると毎年行きたい場所があって今年も行くことにしたのだった。そしたらね、偶然そういうことがあった。言いたいことは全て言ったし、全て聞いた。それでね、最後の○○が来た。だからこれでもう全部おしまい。

                  • -

年を経るごとに桜がきれいに咲くのは、毎年桜と共にきれいな記憶を積み重ねているからなのかもしれない。桜が咲くというのをそういう比喩で、二人は使っていたのでした。

一番大事だったのは何だったのだろう。やっぱり僕は今でも「正直でいること」だと思うんですよね。それはこれからも変わらないと思う。ただ正直に信頼を重ねていくことでしか、人間の関係性は発展していかないと思うから。

20代の締めくくりとしてはちょうどよかった。どうもありがとう。

「どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために 「好きなものは好き!」と 言えるきもち抱きしめてたい どんなときもどんなときも 迷い探し続ける日々が 答えになること僕は知ってるから」 - どんなときも。(槇原敬之

春うた、夏うた。〜どんなときも。

春うた、夏うた。〜どんなときも。