仮想世界の歴史の紡がれ方 〜ガンダムUCが繋ぐUC〜

ガンダムUCと言う、ガンダムの最新OVAシリーズがありまして。こないだ4年を経て完結したので今日またこないだのまどマギの話と同様に全部一気に見たのです。これもまた、早くに見ていなかった自分を責めたい級のアニメでした。音楽とか超よかった。。UNICORNかっこええ…名曲。

ガンダムの歴史とその正史の定義

見ない人には全くピンと来ないと思うんですが、ガンダムの世界と言うのはもはや人々によって作られた歴史そのものなのです。35年かけて語られて来たのは個々の単発のアニメ、映画作品ではなく、そこにはその世界を通して息づく象徴や人格が確かにあって。色んな人が色んなその世界を語り、表現していく創造上の世界なのですが、それはもう日本の歴史や世界史などと同様、凄まじい詳細さと量、そして熱意で語られているものなのです。

そういう意味で、ガンダムの世界は既に「歴史」を持っています。多くのアニメや小説、同人作品などを生みそれらが紡いでいる世界の歴史。例えば宇宙世紀やそれ以外の世界であったとしても、ガンダムと言う名前を通して創られている創造上の長い歴史を持つ世界。

しかしそのガンダムの歴史における正史、正しい歴史とは何であるのか、これについてはただ一つ定義が定まっているわけではありません。「映像化されたガンダムが正史」「宇宙世紀が正史」「ファーストガンダムだけが正史」など、色んな考え方がこれまでにも存在しています。では、ガンダムに触れる人達はいったい何をもってそれらを「正しい」としているのでしょうか。

何が仮想世界の歴史を定義しているのか

何を信じるかはもちろん人それぞれなのですが、すごく簡単な言葉で言うと原則的には「人気がある」「多くの人が良いと言って認めているもの」を正史と読んでもよいのではと僕は思っています。極端な話、100人いれば100人の「ガンダムの歴史」があるはずなのです。個々人が持っているそのガンダムの歴史、ガンダムの世界にどのガンダムや人々が存在していたと「認める」のか。ただそれだけの話なのです。

ではその世界に何を認めるか、その基準は統一されるものではありませんしそんな必要もありません。一つ言えるのは「作品としてストーリーとしての完成度が高く過去との整合性が取れていて映像的にも音楽的にも優れていてキャラクターにも感情移入がし易く色々と想像し易い商業的にもお金を稼いでくれる作品」として語られているガンダムはその歴史として受け入れられる可能性が高い…それを一言で言うと「人気があるガンダム作品は正史足りうる」と言うことだと思います。

人気があるから、みんなが認めるものが正しい歴史になっていく。公認されていく。実際の日本史や世界史と言う歴史であれば、それは物的証拠などによって裏付けられ多くの学術研究を経て「正しい」と認められることになると思いますが、創造上の世界の「歴史」を作ることなんてかつての人類がどれだけやって来れたと言うのでしょうか。2000年の昔からこの世界の成り立ちについて語られて来た物語は確かにあると思いますが、完全なフィクションとしてこの規模で語られ続ける世界というのは他に類を見ません。

これってすごいことだと思うんですよね。「○○は異端/正史」と言う学派と、それに対立する学派がいる。でもその基準って人によってもちろん違っていて個人個人での世界の広がりとその規定が存在しているわけです。何がすごいってそういう「価値判断基準」自体をみんなが創り出していて、人の意識の中に深く世界が広がっている、と言うのはもう「ただの巨大ロボットアニメ」ではないのです。ほんとは誰がどう思おうとどうでもいいはずなのにね、そんな設定。そして興味の無い人にとっては本当にどうでもいいはず…でも、それでも、この世界がどんどん広がっていく感覚ということ自体がファンにとってはとてもおもしろく感じるのです。

そして過去を肯定するガンダムUC

さて、そのガンダムの歴史の中で、ユニコーンはそのストーリーと描写によって過去の宇宙世紀物語との接合を行い、そしてその人気によって新たな正史となろうとしています。ガンダムUCにより語られる新たな世界、大きなものとしては「シャアのその後」とそれ以前のファースト、Z、ZZ、逆襲のシャアのほぼ全肯定が大きいのではないかなあ、と個人的には思います。そしてサイアム・ピストの声を永井一郎氏がつとめることにより、過去の一年戦争のストーリーも含めて彼のモノローグだったと言う形式にして宇宙世紀を締めくくっている、とも取れます。

これだけの人気をガンダムファンの間で得ている新たな作品と言うのは直近だとあまりなかったはずです。ガンダムUCで語られていることがすごいと言うことよりもむしろ、ガンダムUCが肯定された(人気が出た、売れた、"多くの"人が良いと言った)ことによって、過去のUC作品(Universal Century作品)が全て肯定されてしまったことがすごいのです。

ユニコーンの0096の時代から過去の0078〜0093までを語ることにより、それらで描かれていた全てのシャアも、アムロも、カミーユも、ジュドーも、ハマーンも、強化人間も、そしてアースノイドスペースノイドとの対立も、その因縁も、ジオンの意思も、、何もかもは確かにそこにあり「ガンダムの歴史の正史であった」と言われることになった。ZZの存在も確かにあったし、カプールだってガルスJだってあったし、プルもプルツーもいて、だから12がいて、そしてそれらの存在を経た後で、確かにシャアはアクシズを地球に落とそうとしたしそしてまだスペースノイドの解放を望んだのだ、と言うことが「肯定」された。

ガンダムUCはそこで新たに示した歴史とともに、仮想世界の歴史がこうやって紡がれていくと言うその構造を改めて示したと言う意味でとても重要な作品にこれからもなっていくのだと思います。とてもいいガンダムでした。まる。

日本100名城スタンプを押しつつ城巡り 〜長篠城、岡崎城編〜 JC#006 JC#007

愛知入り

長篠も設楽原も愛知県だったと言うことにこれもまた着いてから気付きましたが、、愛知県東部の城巡りです。

No 城名 所在地 スタンプ設置場所 備考
45 岡崎城 岡崎市 天守1階 市指定史跡
46 長篠城 新城市 新城市長篠城址史跡保存館窓口 国の史跡

長篠城


日本の戦国史を語る上で外せない長篠の戦い、当時戦国最強と言われた武田騎馬軍団を織田信長が時の最新兵器「鉄砲」で打ち破った戦いと言われています。この戦いで武田氏の名立たる重心が戦死し事実上負けが決まり織田信長は中部・東海地方も手に入れることになっていきます。

古戦場にはもはや城はなく(もともと大きい城があったわけではないみたいだけど)、古戦場として記念碑があってあとは記念館が残っているくらいでした。そしてなんか古戦場の横に弓道場があっておじいちゃん達の弓道大会が開かれており、そこかしこに「長篠合戦のぼりまつり」ののぼりがはためく、ちょっとカオスなイベント会場みたいになっていました。

鳥居強右衛門記念館(ほんとは新城市長篠城址史跡保存館と言う名前)


写真はその人です。壮絶な感じがします。記念館は長篠合戦記念館と言うより「鳥居強右衛門」記念館と言う方が正しいんじゃないかと思うくらい鳥居強右衛門フィーチャーな場所でした。当時武田軍団に囲まれた織田・徳川方の城から決死で抜け出し救援を呼び、あと一歩と言う所で捕まってしまうものの、文字通り命を懸けて城内に救援が来た事を伝えた、、と言う逸話がある人です。入り口のパネルだけでも見る価値あるかもしれません。

設楽原の馬防柵


長篠の戦いと言えば戦のルールが変わったと言う意味で日本の戦史のターニングポイントと言われていますが、当時の織田側が作った陣地の馬の突撃を防ぐための柵が戦いのあった設楽原(したらはら)と言う平地に再現されて残っていました。ただそんな設楽原も、柵の向こうはただの畑です。

岡崎城


長篠からクルマで一時間半ほど、徳川家康生誕の地でもある岡崎城に着きました。多分今回訪れたお城の中で一番整備されていて、観光地化していたのがこの岡崎城だったと思います。5階建ての城の内部はちゃんとプロデュースされテーマ設定されており、またしっかりしたナレーション付きの映像とジオラマもあって、ゆっくり見れば数時間は過ごせそうな内容でした。外側にある記念館も体験コーナーとかがあって親子で楽しめそうです。あと面白かったのが当時の長槍(三間半、6.4メートル)の実物があったんですがめちゃくちゃ長いんですよね。これが例えば数十人で密集してたら確かに「槍衾」(やりぶすま)として凄まじい脅威になりますな…。

あとはあれですね、おかざえもん。色んなところにグッズも売ってましたししっかりキャラ立ってたので、岡崎市はなるほど頑張ってるなと施設だけでなくキャラに関しても思ったのでした。

古戦場に思うこと

甲府から名古屋まで来てみて思ったのですが、クルマですら数時間かかる道のりなのですよね。ここを万単位の人数で移動し、当時のように物の流通も整っておらずケータイも無く連絡すらママならない時代であることを考えると、どこかの国に戦争を仕掛けると言うのは並大抵のことではなかったんですよね、きっと。ゲームのように相手の城をクリックして「攻撃」ではないわけです。兵は相当疲れるし道一本埋められたら連絡どころか米を届ける事もママならないと言う恐怖、そして戦に負けたら下手すると数万人の人間がが死ぬ、と言う事実。長篠の戦いもきっとそうで、そう思えば関ヶ原に限らず戦争はいつだって「天下分け目の戦い」だったはずなんですよね。

今語られている「歴史」と言うのは今世に語り継がれているだけ、もっと厳密に言うと「今の時代の人が語っている」と言う事実に過ぎないと思います。歴史を紐解くまでもなく「歴史」なんて誰かの都合で書き換わったり、簡単に変わってしまうものでしょうから。これは別に政治的にどうこうと言う話ではなく、口伝による伝承と書物でしか過去を知る事が出来ない以上、過去は本当はどうだったかと言うのはとても不確かでいくらでも想像で埋める余地があるものだなと思うのです。もしかすると数百年後、今の萌えゲーの「織田信長」と言う女の子キャラ(リンクは貼りませんが)がどこかから発掘されて「織田信長は女性だった!!」と言う説がまことしやかに語られていても全く不思議ではないと思います。

例えば信玄が死なずに上洛していたら、そもそも長篠の大敗はなかっただろうし、そうなるときっと織田徳川ではなく武田の旗が本当に瀬田に翻ってたかも…と思うと、歴史的な何かに触れる事と言うのはもう想像して楽しむエンターテイメントの一つの極地だと思います。これっていわゆる同人文化の結構根底にあるものなのかもしれません。

次にこの辺りに来るなら名古屋城犬山城岐阜城辺りかな。最後に今回集めたスタンプを貼っておきます。今回もたのしかったです!まる。

日本100名城スタンプを押しつつ城巡り 〜駿府城、掛川城編〜 JC#004 JC#005

静岡県にやって参りました

甲府からずっと南に下って来て静岡へ。駿府城掛川城の順で。ほんとは高天神城とかもいいんじゃないかと思ったものの時間の都合上カットしました。同じ静岡だけど、山中城はいつか小田原城とセットでいこう…。

No 城名 所在地 スタンプ設置場所
41 駿府城 静岡市 東御門券売所
42 掛川城 掛川市 掛川城御殿

駿府城

着いてから衝撃的なことに気付いたんですが、、駿府ってほぼイコール静岡、のことだったんですね。駿府って今川氏や徳川氏の居城だよねーーくらいにしか思ってなかったものの、政令指定都市 静岡の駅のほぼ目の前に広がる大きな公園が、駿府城跡だなんて。まさかそんなに都会だったとは…(静岡がこんなに都会だとも思っていなかったので、二重で驚いた)


ここも天守は残ってなかったものの、城郭の一部が展示用のスペースとして残っていたり、あとは四季折々の花が見える庭園だったり、大きな徳川家康像が残っていたりして大変きれいでございました。こうやって春にピクニック気分で来るのもいいけど秋に来るのもよさそうですね。スタンプは展示スペース(東御門あたり)の受付で押してもらえます。

展示は今川氏時代から徳川氏時代までの城の変遷が。天守は何度も復元されたものの何度も火事にあって今は残っていないそうです。しかしこの駿府城と良い岡崎城と良い、200年以上も続く政権の創始者に縁が深い城と言う事で当時は色んな意味を持っていたのでしょうね。ある意味この城も家康の「墓」のようなものだったのかもしれません。

掛川城


岡崎城を出た時点で16時を回っていたので危ないなと思っていたものの、、掛川城に着いたら「本日の入館受付は終了しました」の看板が…やられた…。しかしそこでK氏(写真で顔出してる男です)の「スタンプ!スタンプだけでも!」と言う素晴らしい交渉術により何とかスタンプだけはゲット出来ました。しかしまぁ、ハンコだけ押したら満足かと言うとそういう話では本来無いんですけどね。。外側から見ると結構大きな城で、また来る機会があったらちゃんと見たいところです。

浜松、浜名湖、そしてうなぎ


浜松に着いたら既に20時でしたが何とか鰻屋さんに滑り込み。偶然ですがここの鰻も、先週神楽坂で食べた鰻もちょうど同じ値段でした。このレベルになってくるともはや違いが分からないんですが、ただ一つ「うなぎがとてもおいしかったです」と言う小学生並みの感想だけ残しておきたいと思います。ごちそうさまでした。東京でもここでもそうなんだけど、鰻屋さんって意外なくらい多いですよね。多分仕出しとかで儲かってるから潰れないのかなーとか思ってるんですけど。いずれにせよ大昔から続く庶民の贅沢は、今も尚幸せを提供してくれていて素晴らしいです。

あと最後に、浜松で泊まった旅館が屋上に温泉付いてるとこだったんですがこれはめっちゃ気持ちいい。外も寒く無いこの季節、遠くの景色を眺めながら風に吹かれつつお風呂に入って良いニュースを聞いていると、あーやっぱ旅行ええわーいやされるわーと今回もまた思うのでありました。まる。


あと途中のサービスエリアで食べた富士宮焼きそばもおいしかった。「肉かす」がこの焼きそばの大事なポイントらしい。B級グルメたる所以が分かった…

次回に続きます。次で終わりです。

日本100名城スタンプを押しつつ城巡り 〜武田神社、甲府城編〜 JC#002 JC#003

今回は甲府です

さて、前回の塩山温泉の続き、本日は甲府に来ております。甲府には武田神社と、甲府城と言う二つのスポットがあって、効率と言う意味で言うと大変お買い得な感じになっておりました。

No 城名 所在地 スタンプ設置場所 備考
24 武田氏館 (武田神社 山梨県甲府市 武田神社宝物殿 国の史跡
25 甲府城 山梨県甲府市 舞鶴城公園管理事務所、甲府城稲荷櫓 県指定史跡

武田神社


甲府駅からまっすぐ北へ進む事クルマで5分、お土産物屋さんの並ぶ通りと共に神社が見えて来ます。よく考えたらここ10年前にも来た事あったわ…!と着いてから思い出しました。今回一緒に来ているK氏とA氏と、同じメンバーで10年前に来たのでした。懐かしい。


武田神社と言うのはその名の通り武田信玄を祀っている神社で、ゲームとかだと武田信玄の居城「躑躅ヶ崎館」として知られる館の跡地に建てられているそうです。ここから川中島や、三方原に向けて旅立ったのだと思うとテンション上がって来ます。ここも多分に漏れず記念館的な何かが横にありますが今回は省略。スタンプは記念館の入り口にあります。

武田神社のおみやげ


分かり易い観光スポットなので、お土産屋さんも充実してますね。桔梗信玄餅とかすごくおいしい。ちなみに今回は「桔梗信玄餅カントリーマアム」を買ったんですが果たしておいしいのかどうか。写真は「クリスタル信玄」と言う置き物で「誰がこんなの買うんだ…」と10年前は思ってたんですけどね、社会人になってお金もあると面白半分で買ってしまえる辺りに、時代の流れを感じます。

甲府城


甲府城甲府駅のすぐ裏手側にあるお城で、今はいくつかの建物を残したかなり大きな公園になっています。天守は残っていない代わりにそこから展望出来るスペースがあるのですが、十分遠くまで見渡せて富士山もしっかり見えました。お城としては戦国時代の末期に建てられたようで、戦用と言うよりはこの地を統治するための政治拠点だったのかもしれません。街並にも堀とか遠見遮断的な構造は無くキレイな条坊制だったことも、それを伺わせるなーと。

今回の旅行で数カ所お城を回ったのですがどこもボランティアの人がすごく多いのですよね。年を取って本業を引退したあと、歴史は好きだし地域で出来る仕事としてはこれ結構楽しいんよね〜と仰ってました。こういうのもまた良い人生かもしれません。

甲府から静岡へ

358号線を南に抜けて次は静岡方面へ。駆け足でしたが甲府は意外なほど大きな街で人も多かったです。次はフルーツ狩りとかに来るのも楽しそうですね。さすがにその時は男3人では来ないと思う…。

次回に続く。

一人で温泉地へ行きつつ歴史紀行をしてみるなど 〜塩山温泉編〜

そもそも歴史の何がおもしろいか

不思議なことに今まで一度もブログに書いてなかったんですが、僕が好きな趣味の一つに「歴史」があります。旅行に行くと必ず歴史スポットに行くし、歴史物の小説とかゲームとか、あとマンガももちろん好きです。「歴史人」は戦国モノだけは毎回買ってる気がします。もしかすると奈良出身で昔から歴史的な何かに触れる機会が多かった事も影響しているのかもしれません。

過去のなんやかんやに関してあれこれ思いを馳せて想像すること自体が楽しいのですが、そこに奥深い設定(と言うか「事実」と言うか)があったり、数多くの人の群像ドラマがあったり、あとは数百年数千年と連綿と受け継がれている(物理的には断絶しているところがあったり不確かなところがあるにせよ、形式的には歴史は積み重なっていると思う)ところがまたすごくロマンがあるよなぁ、と思うのですよね。

先日思い立って川越にふらっと行ったら「日本100名城スタンプ」なるものが置いてあって、しばらく旅行先でこれを集めようと思い、今回の旅行もそれをベースにして進めたのでありました。ちなみに今回は甲府〜静岡〜浜松〜岡崎と辿って、武田信玄が京都まで攻め上がっていたら、、と言うルートを今後も順番に辿っていきたいなーと思っております。

甘草屋敷


友達と甲府で合流するために、前乗りして一人で塩山温泉と言う温泉へ。甲府近くでどこか温泉とか行きたかったのと、あとは武田信玄ゆかりの地をもう少し回っておきたかったのでここにしました。塩山と言うのは「えんざん」と読むらしいです。音読みってちょっと珍しいなーと思いつつ駅を降りると目の前に甘草屋敷と言う古いお屋敷が。古くからあるThe日本のお屋敷と言う感じでした。


中はとても広く、端午の節句が近いと言う事で各所から寄贈されたと言う五月人形が所狭しと並んでいました。おひなさまの季節には同じようにたくさんのひな人形が並ぶそうです。建物は2階建てで上は民俗博物館みたいになってました。見学していると管理のお姉様がお茶を出してくださったのでそれをすすりつつ縁側の眺めを見ていると、やっぱ田舎暮らしっていいよなーと改めて思うのでした。

恵林寺


えりんじ。武田信玄のお墓があると聞いたので、甘草屋敷のレンタサイクル(これは便利)を借りて恵林寺まで。片道大体15分くらいかな。初めて電動自転車に乗ったんですが車体が重い…重い反面、漕ぐと軽いと言うそういうやつで。


お寺は結構広い上に庭とかお墓とか見る所が多かったです。あと「うぐいす廊下」とか。踏むときゅっきゅきゅっきゅ音が鳴ってなるほどうぐいす感あるなーーと思ったものの感想共有する相手がいないのでとりあえず動画撮っておきました。。(さみしい)


恵林寺には「武田信玄宝物館」と言うのが併設されていて、武田二十四将の紹介とか、あとは柳沢吉保の展示もセットであります。こういう歴史上の図画を見ていると、昨今のアニメやゲームなんかはどんだけ歴史上の人物は美化されとるんや…と思いますよね。みんな古い絵の上はただの「おっさん」ですから。でもそこに色んな背景を見出して想像も含めて絵や設定にしていき、そして例えば「美形キャラ」でコンセンサスを取るようになっていくというのは、ある意味現代の文化の中での新しい歴史解釈なんだろうなーと思います。(ただのコンテンツ、アイデアの消費と言えばそれまでかもしれないけど、そうは思わない)

ほうとう


実はこれも食べた事なかったのでりあえず駅前の定食屋さんで頂きました。感想はもう、ボリュームの多いうどん鍋って感じですね。〆のうどんを、鍋作ってる最中に入れたらこうなるんじゃないかって言う感じの…。あとは根菜類(じゃがいもとか大根とか、あとかぼちゃ)がいっぱい入ってるのでこれだけで十分に満腹です。

ひとり温泉宿の旅というもの

朝食付きで一泊7000円とかなら、別に高くないと思うのですよね。これで週末にふらっと来て観光して広いお風呂入って帰れるなら、結構充実した生活な気がします。
あとは一人で過ごす時間が苦になるかどうかでしょうか。友達と過ごす時間も大事だと思いますけど、一人で本読んだり勉強したり、何より考え事する時間って言うのは一番大事な時間の一つじゃないのかなと思ってます。史跡を巡ったり自転車に乗りながら過去を振り返りながらこれからのことを考えたり、そしてそれを自分のために記憶して記録していくことが出来れば。色んな場所に行ったり地名を聞くたびに思い出せる事が増えて行くのは、さながらこれもゲームみたいでとても好きなのですよね。

と言うわけで、次回に続きます。

学習まんが少年少女日本の歴史(23冊セット)

学習まんが少年少女日本の歴史(23冊セット)

The last lesson of the 2nd season in GABA ES#034

I wrote almost the same entry on last year and I quote it here.

The last lesson in GABA ES#028


Because today I had my last lesson of GABA, I wrote a letter in English for my best teacher. It took more than 2 hours to write that, and yesterday I drank 4 cups of coffee at Starbucks...


I don't feel scared any more for English, this is the most important thing what I got at GABA. Maybe this English sentence have much mistakes in grammer or expression, but I don't care that... I can say "Done is better than perfect" even for my English study.


2 years ago, I have made a talk script (five sheets of A4 paper...) for my presentation in English. Then I have only read that, I didn't "speak" anything. But now I'm having weekly conference call on my job in English, and it is very meaningful time for English learning. :D , as you know I'm working hard every day...


I think all things what happen to me have all important meanings. Not only to use English in my work, but also other all thing in our life, I believe it will be necessary for growth.


Thanks for all my teachers.
Mantol, just "light gamer"

Actually 3 years ago I couldn't talk anything in a business meeting but at this moment I enjoy talking with non-Japanese friends. My English studying history started at Apr. 2011, then I had the first English meeting in my life.

The 1st year was just a stressful days because I couldn't understand what they are speaking and I cannot tell anything for them. Even now I can readily recall the first tough dinner in US... "Why I'm sitting here...?"

The 2nd year was good turning point for me because I could become to enjoy talking in English. Through playing Gundam in video game arcade with Mr. M, I knew it is really fun to share my interest or feeling with other people even in English.

The 3rd year(this year) was "being expressive" year. I could tell maybe 70% of my interest with too much gesture and expression.

At the end of next season, I'd like to write all of my blog post in English. It doesn't mean I'll never write in Japanese, means I'd like to be I can write correctly all things what I'm thinking. To be honest, I really love to talk with someone but I prefer to think something and share it.


Mantol, expressive Japanese OTAKU

Entries related with English on Mantol-pot!

簡単な言葉に訳してしまうことで英語が上達しなくなる気がした ES#033


God is in the details

Today I strongly realized my English is not so improved than last year because I'm still using only easy word and phrases for talking and writing. (Actually this sentence contains only the words what we learn elementary school. ) My teacher said "You should review at the night and 1 hour review = 30 hour game time, hahaha". I totally agree with him but I know it is really difficult for me because I bought PS Vita last week and I have to finish the game ASAP...

Maybe the biggest hurdle of it is because somehow I can tell my intent even if I use only easy phrases. It means there is no reasons for improving my English more because originally I was studying English for just telling something for non-Japanese. Nowadays I can describe two thirds of what I want to tell and I can understand 80% or more of him/her intent because all they are so kind and speak slowly.

For the next step of "the way to World Wide Business Person", I must switch my mind from "80%" to "as much as possible". It's often said, God is in the details.

細部に宿る神に敬意を表して

上の文章がどこまで伝わるか分かりませんが、最近英語が全く上達してないなと思ったら多分そう言う事だったのではと言う話です。日本語で話したり考えたりする時はびっくりするくらい言葉も表現も選ぶくせに、こと英語で話す時は適当に簡単な言葉に置き換えているのだとしたら、そりゃうまくならないよなって思いました。

過程としてはきっと間違っていない気がするんです。6割か7割くらい伝えるためには、多分言いたい事を知っているフレーズとか言葉に置き換えて、ぱっと言える言葉にしてしまうのがそりゃシンプルでいいと思う。だってちゃんとコミュニケーションにはなるし、相手も言葉が簡単だから多分大意は分かるはず。ただ、細かなニュアンスは絶対に伝わっていない自信がある。例えば「多分、大意は伝わると思うんだよね。」って英語で言おうと思うと、ぱっと考えて言うと "Basically they can understand my intent but..."とかにする気がします。でもこれって「大意」になってない気がするんですよね。言い換えてみて、大体意図は合っているとは思うものの。

日本語ですら操り切れないのに英語でそのレベルに達せるとは到底思えないけど、でも60%を70%, 80%と徐々に上げていく努力無しには、どうやったってこれ以上の相互理解は進まない気がするのです。「大体伝わってるからいいか」だと今のままだから、例えば本当に自分が好きなことだけでも99%理解してもらう表現方法を身に付けると言うのを、当面の目標にしていきたいなと思ったのでした。細かいところにきっと大事なものはあると思いますし。

と、この半年の成長感の無さに反省を込めまして。精進致します。かしこ。

まんとるぽっと英会話シリーズ!