最近気付いたんですけど、何かを習慣的に続けることって自分は結構得意なんだろうなと思います。習慣、と言えば8年前の記事にこんなものがありました。
ここにはやりたいと思うことを習慣化せよ、というようなことが書いてあるけどそれは確かにそうで。習慣化してしまうものもあるし、意図して習慣にしたものもあるのでしょう。続けることが得意というか苦ではないなと実感するのは、ingressとか結婚する前からやってるけど未だに続けてるし(もう7年くらいやってる)、最近やってるガンダムのゲームでも飽きずによくやるな…とか、あとは最近だと毎日の生活とか、割と何に対してでも思います。
毎日お風呂から出たら子ども達と20-30分くらいは勉強することにしてるんですけど。もうやり始めて1年くらいになるんだろうか。ドリルも数冊ずつ終わった気がする。上の子は来年から小学生だけど足し算やったり英語やったり、こないだは一年生の漢字が終わって今は九九をやってます。下の子は2つ下だけど最近はひらがなを1日1文字ずつ。あとはおべんきょうというか学習系のコンテンツがあって、それを1日1つみながら一緒にやるアクティビティを。パパは動画は一緒にみながら、子どもたちが文字を書いてる時は今はTOEICの勉強しています。
思い返してみると面倒だな、と思うことが僕自身はあまり無くて。やることになってるからむしろ今日もやりたい、という気持ちの方がどっちかというと強い。多分この一緒に勉強する時間もほぼサボらず週に5日(休日は無し)は子どもたちも一緒に勉強出来てると思います。
子ども達に関してはイヤイヤする時ももちろんあるんですが、続けてくうちに「そういうもんだ」とは多分思ってるように見えます。あとは成長実感を持てるように、自信が持てるように親が褒めてあげれば勝手にやるようになるのでは・・・という気がするんですよね。これは確信ですが、学ぶ、という習慣については人生の後ろの方にいくと多分身に付けるのが難しい。学ぶことの楽しさ面白さを何かしらの方法で自覚して、自走できるようにならないと嫌々やってても絶対にやりたくなくなる。だから、今のうちに新しいことを知るって楽しいよね、という感覚を持たせられるかどうかを我が家の教育(というとなんか違う気がするけど)の重要テーマにしよう、と思っています。
結果的に自分の幼少期を振り返ってみると。なぜか小さい頃からよく漢字の書き取りして遊んだり、日記書いたり、あとことわざ覚えたり・・・というおべんきょう的な遊びがすごく多かった気がする。双子の兄と結果的に切磋琢磨することになったのもよかったのでしょう。ひらがなも漢字もある程度書けて算数の基本が出来た状態で小学校に入ると、今でもよく覚えてるけどほぼ無双状態なわけです。そしたら「あ、自分は出来る方なんだ」って思えて自信が付くし、そしたら負けないようにもっと頑張るし、、という好循環だった記憶がある。今もおべんきょう、はだいぶ得意な方だと思うけどそれは30年前から変わらない習慣のおかげなんだろうな、と思うわけです。
自分で考えて学んで進んでいく力さえあれば、どうやったって幸せに生きていけると思う。だから子ども達には明るく楽しく前向きに、学び知るということを楽しめるように時間を使っていきたいなと思うのであります。まる。